進撃の巨人/ヤマト/有頂天家族

進撃の巨人・最終話。肝据えてとうとう巨人化したエレンさん。やることっちうのはアニ巨人の殲滅である。今までも巨人にしてはどこかもの言いたげな風情を見せていたアニ巨人さんだが、ここにきて感情の表出が爆発的となっている。叫び、吼え、顔をしかめる。…人としてのアニは冷静で冷徹に見えていただけに、このエモーションと回想での人間性が余計に印象として残る。そんな彼女の心情も世界の謎も、アニが結晶の内側に引きこもってしまうことで全ては手に入らぬままとなる。

何だよ結局またも負け戦かよ、ってとこでいやいやこれは我々人類初の勝利のトッカカリですよ、と前向きっぽいことを言うといて一応のシメ。行ったっきり戻ってこなかったアニと仲間のもとへ戻ってこれたエレンという対比も含め、うーんまあ、ひと段落の付け所としては悪くないとこでしょうか。なんとなくこれは物語全体の中盤にも至ってないのではないか、こっから更に阿鼻叫喚のドラマが待ってんのではないか、などと想像させられるのは悪くない。

巨人二体の大怪獣バトルは流石にクライマックス、こってりとした絵の凝り具合で腹に満足ですな。足を欠損したままえらい勢いですっ飛んでゆくエレン巨人の、あーこの質量でこんな激しい動きしたらそら怖いわなあ、って感じがよろしい。あと石塚運昇さんはエエトコで二役やってたんで一瞬戸惑った。あれアニの父ってここで出て来るの? とか。

●総評。なるほど、これは確かに世間の耳目を集める作品だなあとよく判る、突き抜けた魅力を持った作品ではある。「巨人の集団が攻めてくる」ってだけでそない話も作れないような気がするが、とか思ってたけどいやはや。巨人を災厄と見立て、その強大な力に翻弄される/立ち向かう者たちの群像劇としての面、謎の巨人の謎は何でしょうというSFっぽい仕掛け、双方ともに充実している。…これ、かなり凝ったSFネタも仕込もうと思えば仕込めるよな。本編でやるかどうかはともかくだけど。

そしてこの作品…というかこれは作者によるものか、独特のテイストと言えば割と脈絡もなく散りばめられるしょーもないコメディシチュエーション。それも「ギャグですよー笑わせますよー」ってんじゃなく、劇中シリアスもシリアスな状況下でシレッと描写される間の抜けた台詞、場違いな行動。天然じゃなくて明らかに効果を期待して狙ってやってる手法なんだけど、その逆説的に「自然」なセンスのおかげで妙なリアリティを感じたりする。ああ、人間ってこういう時こういうワケ判らんことやっちゃうよなあ、という。そうねえ、この雰囲気に関しては、読んでないけど原作マンガの方が印象的なんじゃないだろうか。いや状況にもよるけど、こういう間とかテンポを読者のベストなイメージで読めるからなあ。いやアニメも十分演出にがんばってはりますねんけどね。うん。

途中かなり青息吐息で、作画的に微妙な状況もあっりした。デザインやアクションなど、ちょっとアニメ化に当たって無理し過ぎたってとこもあるだろう。けどまあそれは…ねえ。昔のアニメにはようあったことですしねえ。ワシはあまり、そこまでツンケン言えないかな。

とまれ、2クールにわたって楽しませてもらいましたよ。次期あるなら(まああるだろうな)見たいと思うっす。

宇宙戦艦ヤマト2199・最終話。長い旅を終えて帰還の途につくヤマト。サブちゃんが知らんうちにまこっちゃんとやらかしたおかげで新たな命が生まれつつあったり、沖田艦長は重責を下ろしてゆっくりとこの世から退場しつつあったり、んでまあ森雪さんは一旦死んで生き返ったり、とまあやっぱり盛りだくさんな30分である。

上記の要素に加えてアナライザーを佐渡先生んとこに入り浸らせたりなど、旧作の勘所を押さえつつ、コスモリバースシステムと守兄さんをからめてドラマとさらに深く構築してあったりしてなかなか飽きさせない。うーん、この終わり方に関しては結構うまい事やったなあと思いました。登場人物がフネと同化してしまうってのは何でしょうね、これはアルカディア号とトチローを思い起こさせますけどね。てっきり守兄さんがそのポジションになったのかと思ったら潔く成仏し、最終的には沖田艦長がフネのコアとなりましたか。続編でもあればその辺いろいろ盛り込めそうね。イザってとこで何故か艦が救われて「艦長が守ってくれたのだ」というまあ、ベタネタとか。クラークの第三法則…科学と魔法のボーダレス化、というネタは案外、ヤマトのような松本世界に合致した概念かもしれないねえ。

…ちうてたら来年劇場版で会いましょう、ってか。まあ制作側からすりゃこのコンテンツ、そうそう終わらせたくないわなあ。完全新作ってのが気になりますね…確かにこの設定でオリジナル作品は見てみたいかもね。

あと玄田さん声の将官、芹沢さんでしたっけ、姿も見えませんでしたな。この成功をどう思ってたか聞いてみたいところではあったが。

●総評。ワシはそこまでヤマトというシリーズに思い入れのある方ではないが…いやあ、これは大した気合いの作品であったなと思いますよ。最初にリメイクするよと状況やスタッフを見た時には、失礼ながらそこまで期待もしなかったことである。今までのヤマトの続編なりリメイクなりにあまりいい印象が無かったってのが言い訳だけど、それにしてもワシの不見識。楽しく鑑賞させていただきました。

惜しむらくはあと少し尺に余裕があればなあというとこですかね。4クールとは言わんがあともう数話、そうすれば後半部分の建込み具合や間合いの余裕のなさも多少緩和されたかもしれない。あとは何だ、このシリーズでも赤道祭やオルタの物語などがあったのだけれど、ああいう枝葉のサイドストーリィがもう何本か入ってたらもっとワシ好みではあったと思う。長い旅に対する万感の思いはその積み重ねられた経験と比例するからね。ま、この辺は企画段階からのものだし、言うても詮無いことではありましょうが。

それにしてもまあ、キャラの大時代的な濃さは特筆すべきことではある。確かに今様に洗練されたデザインでもあるのだが、ベッタベタに演技派なキャストをアテた上でのあのキャラの濃さは気持ちよいくらい。旧作ではそこまでの名将ではなかったような気もするドメルさんのなんとカッチョエエことか。あの集団はワキがいいよねワキが。常に横っちょに立って補佐してるハイデルンの渋さとか、なんかこう…戦争映画っぽくてねえ。

てことで、うん。いろいろ言いたいがある人も多いでしょうけど、逆に言えばなんかかんか言いたくさせるほどのいい作品だった、ってことだろうなと思います。ともあれ楽しかった。よしよし。

有頂天家族・最終話。金曜倶楽部の人間、偽右衛門選挙の狸、そして天狗の赤玉先生。三つの座敷に三者三様、どいつもこいつも一筋縄ではいかぬ曲者揃い。さてこいつらをいっしょくたにしたらどないなるかっちうと、まあそのそれ、要するに大混乱でありまして…というね。偽右衛門選挙の紛糾に狸喰いどもの混乱が乗っかった収拾のつかない状況を、天狗の風神扇子が全部吹っ飛ばしてチャラにする。ああ世は混沌なるかな。

大暴れのカタルシスはあるものの、早雲の所業がここぞという瞬間にひっくり返るとか弁天様の屈託がつっと花開くとか、そういう鮮やかさには乏しかったのが少々残念。ぐずぐずのぐだぐだの末、所作通りに赤玉先生が落ち着きを取り戻してなんとなくオシマイ、というのも確かに狸らしいっちゃらしいのだが、ね。

ラストはお参りシーンでシメ。この辺とか夜の京都市内とか、なんかやたらとモブの描写が細かい上にたっぷりと尺がとってあって、そこらのアクションシーンよりもよほど手間がかかってたんと違うやろか。「この中にどれだけ狸や天狗がいるのだろう」という言葉が妙に腑に落ちる、細かい仕事であったと思います。あれって遠景の方はCGのモブだったのかな。動きはともかく、パッと見ィの絵柄では判断付かなかったよ。

●総評。京都の街中に住まいする狸のご一家と、それを取り巻く人や人外たちの物語。ふわっふわした道具立てに地に足付いた情景描写、このミスマッチぶりは…序盤の感想でも言うたけど、マジックリアリズムに一脈通ずるヘンテコな雰囲気がある。久米田デザインのスコンと抜けたような割り切りは、現実と非現実をあっちこっちするこの舞台には割と似合っていたかもしれない。

どの人物もどこかエキセントリックな魅力があっておもろいのだが、何かこう…一番感想として脳みそにこびりついちゃったのは金閣銀閣バカ兄弟かなあ。いちいちイラつく言動行動にピッタリのぬるべたーっとした演技がもう、素晴らしいというか気持ち悪いというか。友人にはなりたくないが、ハタで見てる分にはバカでよし。でも海星ちゃんにとっちめられてるシーンならもっとよし。

森見登美彦原作のアニメはこれで二つ目。先行の四畳半神話大系は湯浅テイストの濃厚な(それでも他の作品に比べるとまだ薄口ではあるのだが)、原作者とアニメ作家の個性ががっぷり四つのぶっ飛んだ味わいであったが、こっちは比べてみればはるかに一般性の高い口当たりとなっている。どっちがエライってワケでもないけれど、それでもお互い通底する「らしさ」ってのがあるのは面白い。ちうか、その「らしさ」を消さずにアニメ化された幸運な原作たちというべきだろうか。

さて、お話としてはケリがついてるけど、各キャラにおいてはまだまだ語るべきネタが多いっすよね。特に弁天さんの人となり、アレはあのまま謎のままでもいいけれど、デバカメ根性でその内面を覗き見してみたくはある。もしも続編がアニメ化されたら、お付き合いさせていただきますよ。ええ、ゼヒ。