アリスと蔵六/リトルウィッチ/有頂天家族

アリスと蔵六・最終話。サナとハトリはワンダーランドに囚われの身であるが、協力してそこを脱したい。鍵となるのはアリス来ればの白ウサギ、どうやら彼はサナと同じくこの世界の一面であり、ついでに現実世界とも繋がっているらしい。なんせコイツがそばにいると何故かケータイが繋がる。結果的にコイツ利用して現世と渡りをつけ、アユムさんも呼び寄せ、蔵六はワンダーランド相手に説教カマす。一条メイドさんは落っこちてきただけでした。

そしてサナさんは現世に戻り、ハトリさんたちと改めて友達としての関係性を築いていく…んだろうね、最終回だから匂わされてるだけだけど。しかしアリスの夢は現実世界に流れ出し、多分これからあっちこっちで妙なことが起こるだろう事が示される。元の日常にキッチリ戻るんじゃなく、変化した世界が続くってことか。X-MEN世界みたいなめんどくさいことにならなきゃいいけど、どうでしょうかしら。…どうでもいいけどワンダーランドから見た現世の穴、なんか「カド」みたいな感じでしたね。どうでもいいな。

●総評。アリスという能力を持った者がバトルしたりする…ってのは後景で、本編は能力の根源っぽいワンダーランド、どうやらその一部であり「人でない者」であるサナさんが人の世界を知ってゆく、というのがメインっぽい。そういう意味ではアニメの範囲内としてはまだプロローグ程度の状況で、これから学校へ行って友達作って…ってとっからが本番なのであろう。実際、ちょっと言い方はアレになるけど、このアニメでバトルとか事件とかの話よりもサナさんがどたばたと日々過ごしてるような話のほうがなんかワシ好みではあった。新たな経験すると全部「くさいな!」っちう感想になっちゃったり、そういう子供っぽさが絶妙でねえ。

もう一人の主役である蔵六さんは、これはまあ大塚明夫の存在感がすげえでかいというか、これ明夫のおっさんの演技にかなり引っ張られた印象になっちゃってるな俺。原作のマンガで読んだ場合、今の印象とはなんか微妙に違うことになったんじゃないかって気がする。そのくらい、大塚明夫のジジイ演技がでかいということでもあるのだけれど。1話の感想でも言うたけど、二昔前ならこれ大塚周夫の役回りである。なんか感慨深いねえ…忍たまの山田もそうだけど。

全体的にはかなり地味な作品で、ケレンも見得もないんだけど、それは原作もそうだし監督の方向性もそうだし、で所期の目的どおりではあるんだろうな。そのつつましさは同時にパンチ力の弱さでもあるのだが、そこはそういう作品ってことでそれ以上は贅沢なことでもある。ともあれ、1クール楽しく鑑賞いたしましたです。おもろかったよ。

リトルウィッチアカデミア・最終話。放たれたミサイルはクロワ先生のビットを取り込んで暴走した、まあ悪いデウスエクスマキナみたいなもんですかな。モノが魔法原因だけに他の方法じゃ間に合わないってんで、ここに新たなナインウイッチが組織されて事態の解決に当たるのである。残された各人の魔力で何とかする為に、多段式ロケットの如く統合して飛ぶ魔女たち…というよりも「パーマンは繋がって飛ぶと早い」のアレみたいな感じ。ベタもベタだけど、こうして各々のキャラに舞台を作りつつ協力してのドラマってのはグッと来るわな。

暴走ミサイル相手に一騎打ち、もといダイアナとアッコでの二騎打ちしてるシーケンスはまあ、そら最終話のトリガーだったらここまでやるわなあって感じの大盤振る舞い作画でよろしい。緻密で計算されたゴージャスなアクションから勢いとノリで突っ切りとおす暴れまで、レンジの広い作画の饗応は十二分な見せ場になっている。最後は落とすべきトコに話を落として大団円、ですね。クロワ先生はあれ、各地を旅するみたいなこと言うてたけど魔女的警察機構かなんかのお世話になってる絵ですかね? あと、ポッと出ェで話をまとめてちゃうという英国首相役に、玄田哲章を置くことで何となく納得させるというやり方はまあ正しいなと思いました。

●総評。出自的に一種「トリガーの若い力を育成する」という側面もあった作品で、そうなると映画のような単発作品じゃなくこうして2クールの地上波アニメとしてまとめるにはそれなりに苦労もあるだろう。勿論凡百の作品に比べりゃ終始ハイクォリティのアニメなんだけど、そうねえ…全体的にはちょっと、どこかイビツなところのあるシリーズになってたなとは思う。脚本の島田満のどちらかというと繊細でじっくりしたトーンは、魔女学園のお転婆モノという設定には合致してんだけど、トリガーの奔放なノリとは最後までどこかしっくりとはいってなかったような印象があった。テイストの違う二者が出会って思わぬ相乗効果が! という、その境地にまでは達してなかったというか。

2クールという尺を支える為には必要な大きな流れとしてのクロワ先生/言の葉サイドの話は、これも高いレベルで構築されてはいたんだけど、個人的にはこの道具立てでワシの見たかったモノは1話完結のバラエティ豊かなゴチャネタではあったのよね。後半はそういう要素が多少希薄になってったのは、しょうがないとは言え残念だった。

何度もいうけど作品としての総合的な質はとても高く、流石ダイアナ…じゃないやトリガーってなアニメだったと思います。だからまあ、上で書いたような齟齬はワシ個人の好みに起因するトコが多いだろうね。贅沢言うならこの布陣でまた第2シーズンでも見てみたいなと思う。ヤスミンカメインとか、ハンナバーバラ担当回とか。どうでしょうか。

有頂天家族・最終話。あっちでは偽右衛門選挙にて陰謀に笑う早雲、こっちには狸鍋を目論む金曜倶楽部と天満屋。困った要素が二つであり、じゃあまあ一緒くたにぶっつけちゃえばいいじゃんってことで強引に吶喊の矢三郎である。この阿呆な行動は弁天と二代目の天狗バトルという剣呑極まりないカタチで結果し、両者痛みわけで大騒動は終結し、最後に赤玉先生がなんかエエコト言うて落着する。半分以上このジジイが原因とも言えるのだが、そこは天狗のやることなのでしょうがないし、狸たちのやることなので当然でもある。

元人間の天狗と天狗ではないと言い張る天狗の大バトル、このアニメのノリとしてはかなりガッツリ本格的なアクションやらかしててなんか凄いなーと思ってしまった。これはアニメの構成・演出がここまでちゃんと機能しているってことだよね。ユルユルならばどんな派手なことやってもフツーに流しちゃうところだ。

最後は矢一郎と玉瀾の結婚式を経て、矢三郎と海星の二人にフォーカスを当てる。相変わらず矢三郎は化けた状態で海星を見ることが出来ず、茂み越し背中越しにしか話をすることができないが、しかし最後連れ立って歩く二人のように「同じ方をみて進む」ことはできる。ま、矢三郎の阿呆指向はこういう関係性もヨシとするのだろうな。

●総評。京都と狸と天狗という、和風テイストなマジックリアリズム話の第2シーズン。相変わらずの独特な理屈と世界感の話作りは魅力的で、時にシリアスなトーンになったりもするのだけれど、しかし基本狸ども…まあ主に矢三郎の「面白きことは善きことなり」というモットーのおかげでどこか抜けたおおらかさがあって重くならない。下鴨一家誰もみな、ゆるがぬ家族愛が芯にあるってのは見ていて心地よい要素ですわな。

あとやっぱ、弁天の話だよね。1期からずっと別格で、狸たちにとっては「荒神」というか「強大な力を持つトリックスター」、一種象徴みたいな立ち位置であった彼女が、今シーズンではその要素を持ちつつも二代目にはたき落とされ髪を燃やされて矢三郎に「おら慰めろ」と言う。「狸ではダメ、天狗でなければならないのだ」と矢三郎は言うけれど、となると彼女はとんでもなく孤独である。そりゃまあ、あんな性格にもなるわなあ、ってとこだろうか。

原作にある要素的に1クールではちょいと尺がせせこましいっぽい印象で、所々「苦労して詰め込んでるな」って感じの場所があったのはしょうがないか。聞けばこの作品トリロジーの予定であと一幕あるそうで、しかしまだ予定は未定。そうなりゃ何としてもそれもアニメで見たいものです。また数年先になるだろうけど、気長に楽しみにしたいと思いました。ハイ。