夢の話は誰も聞かない

●夢を見る。前夜に夜更かししたのが祟ってちと寝坊気味となり、また食堂で注文した朝食がなかなか来ず、このままでは仕事に遅刻しそうである。やっと来た朝食、二段のスシ弁当を平らげて出立しようとするが、まだ私服なのに気付き慌てて着替える。そこは大学のクラブの部室であり、部員に「ここ女性もいるんだから」と言われるが何とか着替え終了、出勤する。時間を見るとやはり遅れそうだ。ああ、これ夢になってしまえばいいのにな。夢から覚めるには目を閉じ、ぐっと気合を入れるといいのだが…と試すも目が覚める気配はない。大学の敷地を進みつつ、これがどこか夢の中ではないかと思える要素を探す。あの看板におかしなところはないか。このチラシに妙な表現はないか…ってこれ多分、オウムの勧誘チラシだぞ。また活動再会してんのか? まいいや。そもそも部室から出勤したのは非現実的ではないか? いやウチと駅の途中に部室があるから理にかなってるし。などとあれこれ探すも決定的な兆候は見つけられず、やっぱこれ現実かあと思う。最後にもう一回、と目を閉じて力を入れると、俄かに周囲の風景が曖昧になってゆく。あ、夢だこれ。というところで目が覚める。

夢かどうかを探るシーケンスがメインの要素だったのが面白い。朝食に食堂でスシ定食を喰うとか、何故か部室から出勤するとか(駅と自宅の間に部室は無い)、覚めてみればどれも明らかに現実的ではない要素なのだが、夢見てる間はそれにちっとも気付かない。やはり夢見てる間に理論的な自己分析はムリっぽいな。