その言葉には意図がある

●社内にて研修、外部より講師を招聘して諸々講義を受ける。講師の方おっしゃるに、自分はさまざまな企業で講義をしてきたけれど、いやあ皆さんのようなしっかりした社員さんは居ませんヨ、と。ワシそんな言葉を聞きつつ「ふん、要らぬべんちゃらを使いやがる」とかひねくれたことを思っている。


しかし待てよ、もしこの状況下でまったく逆のことを言われたらどう思うか。まったくあなたたちは人間としての出来がどうにも残念だ、他の企業の方々を見習ってはいかがです…とか。そしたらワシは「けっ、余計な脅し台詞を入れやがる」とか思うだろう。どっちみちひねくれている。


これが同僚や上司、知人友人や家族との会話であったらこうは思うまい。…つまり「講義」ってのはしゃべる言葉全てに「何か目的があって選択されている」という印象があるのだ。なりゃこそ、単なる事実や論述ではない感想のような言葉が出てきたら身構えてしまう。おおここで誉めたなおっさん、となると受講者のキモチを良くしておいて聞かせどころに入ろうってことか…とか、言葉の内容以前にその目的を図ろうとしちまって、ね。


多分、こういう作為性を感じさせずに語るのがうまい講師さんなのだろう。あるいはそんなテクニックはじめから放棄して淡々と語るか。うん、まあ、そっちの方がチャッチャと住みそうで良さそうだけどね。さてね。