迷信拘束

●毎朝毎晩同じルートで通勤する。となるとその道行きは、不完全なり自分なりに最適化されてくる。ワタシの場合、表面的には迷信だの何だのを否定するくせに、無意識ンとこではヘンな関連性とかを気にするタイプなので、その最適化もあまり「最適」っぽくない方向に向かったりする。つまりまあ、毎回ある特定の点字ブロックを踏んで通るとか、階段を一段飛ばしで登るのに「この階段は奇数だから最初の一歩は普通に登ると丁度キリよく登れるな」と考えるとか、そういうジンクスっぽい行動である。めんどくさいヤツだ。


各々のジンクスチェックポイントについて、階段の偶数奇数を間違えて最後の一踏みのキリが悪かったり、と行動失敗になるとモヤモヤする。そうなると自分の中の合理的イイワケルーチンが働いて「こんな非科学的な行為で本日一日状況が予言されるとはバカバカしい。そうとも単なる迷信さアハハ」などと思ったりする。さらに「全ての行動点で完璧にしちゃうと、今後もその完璧性を継続するという無意識の精神的重荷を背負うが故に却って良くない、この程度のミスが常態である方が望ましいのさウヘヘ」などとも思ったりする。そうなると今度はあまりにも上手いことジンクス行動が成功しすぎた場合は「次のところでちゃんと失敗しなきゃ、いつものではなく遠回りして別の改札を使わなきゃ」とか思いだして、でもそういう時に限っていつもの右から二番目の改札しか空いてなかったりして、結局完璧にジンクス行動達成しちゃったりしてモヤモヤしたりする。めんどくさいヤツだ。


やっぱアレだね、迷信ってのは良くないね。精神的に。うん。そんな結論?