和をもって環となす

●他人と自分の評価が異なる人ってのが、まま居たりする。それはその評価者の差である可能性とともに、評価対象者が相手によって対外的な表出を使い分けているからという理由もあるだろう。とまれ、他者から「あいつはエエヤツだ」と評された人物が、自分にはどうしてもエエ人に見えないケースってのはかなり、困る。評価してる人間が割と近しい人ならばなおさらだ。


とまあ、そう思っててふと気付く。自分も複数の他人を相手にそういう関係性をなしている場合があるんだろうなあ。ある人には評判悪く、また別の人にはそれほどでもない。そしてその二人が自分について意見を交わしたとしたら…んー、場の情勢が「悪くない」ってな評価の方に引っ張られてくれればよいけれど。「良い人間関係の構築」ってのの定義はいろいろあるだろうが、こういう場合に自分に対して悪い印象を持っている相手の観念をくつがえしてくれるような、そんな知己を持てること、ってのもあるのかもしれない。


…ま、そんな大きな知り合いクラスタを形成できるほど人付き合いはないワシなので安心ですけどな! ゲヘヘへ!


●以前の職場にて。「あの人と仲良くなるのに、酒おごったりと色々カネを遣いましたよ。偏屈な人でねえ」と。端で聞いていた自分だが、カネを遣ったら近しくなれるような人は「偏屈」じゃないような。そりゃただの「現金な人」であると思う。