夢の話は誰も聞かない

●風邪がなかなか快癒しない。まァだそのしっぽが体内をうろうろしている感じであり、スッキリしませんわ。こういう時には妙に不安定な夢見があったりするんだけど、案の定でした。


●夢を見る。私は刀を回しながら歩いている。昔の喜劇役者が雨上がりに傘をくるくると回すように、私の周囲に直径二米足らずの綺麗な円を描きつつ歩いている。私が刀を振り回している様子は他人には見えず、傍からはただ普通に歩いているようにしか見えない。私だけが回転する刀の切先を見ることができる。私の周囲三百六十度、真下の地面から真上の天空までを指し示してくるくると切先は回っている。


私は探しものをしている。ある書籍の、ある文章の、ある単語を探している。人は言葉を探すとき、刀をくるくると振り回す。本人にしか見えないその切先は、目まぐるしく回転しつつ空に漂う言葉をとらえ、次から次へとそれを提示する。私の探している言葉はまだ見つからない。だから私は刀を回して旅をしている。言葉を探すのに必ずしも旅をすることが近道となるわけではないが、長く探しものをしている人は旅を続けていることが多い。私もその一人である。


刀を回している様は本人以外には見えないのだが、でも私には同じように探しものをしている人が何となく判るような気がしている。年齢性別風体は様々ながら、みな何か似たような雰囲気を帯びているように見える。探しものをしている期間が長ければ長いほどそれは顕著である。実際に問いただしたりはしないので、本当のところは判らない。私も他人から刀のことを訊かれたことはほとんどない。


私は市街を離れ、雑木林を分け入って山奥へと進む。刀の切先が指し示す風景は、グレーを基調とした人工物の世界から緑と茶の世界へと変わってゆく。そのうち私は巨きな擂鉢状の空間に行き当たる。山中の一角が、周囲から中央を見下ろす野外ホールのように円く開墾されている。私の立っている縁の部分から中央の舞台まで五百米はあるだろうか。すでに日が落ち無数の照明に照らされている客席部分には、思い々々に立ったり座ったり談笑したり舞台を見つめたりしている観客がいる。密度はゆるやかだが、空間自体が大きいので相当な人数になりそうだ。


中央の舞台には誰もいない。まだいないのかもういないのかずっといないのかは判らない。ふと気付くと、一部の観客の周囲に直径二米ほどの青白く輝く輪があるのが見える。照明の具合かこの地の特徴か判らないが、彼らが回している刀の切先が描く軌跡が顕在化しているようだ。私はそれを見て、ああこんなにも多くの人が言葉を探しているのだと思う。あの人はどんな言葉を探しているのだろう。楽しい言葉だろうか悲しい言葉だろうか。まだ見ぬ言葉だろうかもう失った言葉だろうか。


そういえば、私の刀の軌跡も他人に見えているのかもしれない。そう思うと何故か急に恥ずかしい気がしてきて、さて一体どのように見えているのかと思っているところで目が醒めた。…結局私の探している言葉が何だったのか、判らずじまいである。


●ちょっと陳腐でクサい言い回し、特に後半部分の並べ立てるような文章(「まだいないのか」云々とか「楽しい言葉だろうか」云々とか、あの辺り)は夢に出てきたそのままの表現。思考の流れやナレーションじゃなく、印刷された文章の形で出てきた。熱に浮かされてるって程じゃなかったけど、眠りが少々浅くて「あー、なんか下手な幻想小説みたいな夢だな」とか思いながら寝てたので、それがフィードバックされたのかもしれない。