AIの遺電子

●AIの遺電子・5話。ヒューマノイドの情動は調律ができる。それは確かに、人がカウンセリングや投薬を受けて不調が快方に向かうことと根本的な差は無い。バーの端片方に慰めの言葉、もう片方がロボトミーであるならば、その一線をどこに引くべきか。須堂先生と瀬戸氏には、そのラインに埋めがたいギャップがある…という話。

イディオサヴァン自閉スペクトラム症などの一般社会からは不具合とみなされている症状と、例えば芸術的な才能が結びついているケースをどう扱うか、ってのは本当にデリケートなとこだろうね。あるいはヒューマノイドならば「エエ感じの妥協点」みたいな魔法の杖があんのかもしれんが、そういうケースばかりではないだろうしなあ。それこそ極端ならば上記の如く、ロボトミー殺人みたいなことにもなりかねない。答えは無い、のだろう。

須堂先生の写し絵みたいな瀬戸先生に田丸篤志。まるで石田彰みたい、っつーか初見(聴)で間違えたよ。石田彰テンプレってあるんだろうな、声優業界に。