AIの遺伝子

●AIの遺電子・3話。今回やっと遺「電」子だってことに気付きましたので修正いたします。ともあれ本編、「ロボット」の存在、AIにより最適化された受け答えをするだけの「心」を持たないもの。…この作品中のヒューマノイドとどう線引きすんのか、非常にセンシティヴなネタだよなこれ。双方ともにある程度違和感なく受け入れられてるってことは、社会的にそういう議論を重ねに重ねてきた帰結なんだろうとは思うが…須堂先生は心について共通の見識はないつってるし、どうなんだろうね。確固たる定義をまだ社会/科学が出してないってのは、それはそれで健全であるような気もするし、そんな状況でロボットやヒューマノイドが定着してんのって危うくね? って気もする。どうなんだろうね(再度)。

俺なんざ箱庭ゲーのキャラどころか、受け答えもねェただの人形ですらおざなりにすることに心の呵責が発生したりするってのに、こんなシチュエーションに心穏やかでいられるとは思えない。そういう人は多いんじゃなかろか。人や(現実にはいないけど)ヒューマノイドであれば、不在や別れという複雑な状況を曲がりなりにも説明し吐露し、なんとか折り合いをつけることができるだろうけど、こんなロボットのような限定的なものにそういうものを理解させることができない、そういう無力感が怖かったりする。いや、相手が人間だろうが何だろうが、そんな「理解」なんてのは確たるもんじゃないのだろうか。ならば結局問題は徹頭徹尾自分の内面だけのことなのか。唯物論か唯我論か。…とまあそんな鬱陶しい情感を想起させた段階で、この話の勝ちだわなあ。

恋人ロボットさんに小野賢章、仲良しクマさんロボに釘宮理恵。まーあざといあざとい、確かにそういう目的の商品となりゃそうなるだろうなってキャスティングに感心してしまった。クマのポッポかつてのご主人のユキちゃんに「会いに行」き、その後初めて海を見るシーンで図らずもぐっと来てしまった。心とかどうでもいいや、それは俺の中にありゃいいやな。あるかどうか判んないけど、まあゴーストがそうささやくんだからしょうがない。