だがしかし/昭和元禄落語心中

●だがしかし・11話。前半はヨウお父んの駄菓子屋適性の話。一見しても百見してもすっとこどっこいなヨウさんであるが、ほたるさんは彼を「駄菓子屋の主」として大きく買っている。じゃあそれを見せてやろうってんでスネーキングするのであるが、…うんまあ確かにあの「がっかりしているお子さんをフォローする」というオトナの機微はやさしくてよろしい。よろしいけどもなあ、ってんでココノツさんと同じような表情になるよね、というそんな話。あと狭い箱の中にぎゅう詰めなのでかなりムリヤリなラッキースケベもあったりする。

後半は都こんぶとほたるさんの歩む道の話。会話のネタもそうだけど、夏の田舎の閑散とした駅という、時の流れがすげえゆったりしたシチュエーションを見せる話でもあるな。この雰囲気は悪くない…が、そこに唐突に出てくる宮崎吐夢風杉田声が唐突ではある。関西弁なのはせめてもの抵抗だろうか。何の抵抗だかよく判んないですけども。

そんな雰囲気で電車と駅、あっちこっちに別れて行くお二人さん。いやまあ単にココノツが電車乗り損ねただけだけど、そういうちょいマヌケなオチも含めて「あれ今日最終回だっけ?」と一瞬思っちゃったくらいに一旦の区切りとしておさまりが良かった。ま、ホンマモンの最終話は次回ってことで。

昭和元禄落語心中・12話。助六は久々に落語を演り、それがこの世の置き土産となるという話。落語だけに生きて死ぬってのはそれは一種の修羅道である。菊さんは歳経てそんな修羅道から人の世へと支点を移そうとし、シンさんはみよ吉っつぁんに対して「俺ァ落語止めて真っ当に生きる」と言明する。しかし結局、菊さんには修羅道のみが残され、シンさんは人の世を棄てて去ってしまう。「コイツ一人地獄には落せねェ」。…そういやああいう場面のことを、俗に「修羅場」なんて言いますなあ。

シンさんがこの世の最後にかけるネタが芝浜なのが皮肉ではある。心入れ替えて人生は変わる、噺の上ではそうなるがシンさん本人は変わった途端にこの世の別れ。彼にとってこのネタが、あるいはこの状況そのものがどんなに大きなものであったかが判るのは、下座からぐうっと立ち上がるシーンでのタメと表情だよねえ。ここで立ち上がるために、何年もの時間が必要だったのだ、ってな重みが感じられる。いやあ、今回もドスンと効くようなパンチの話ではありました。

あと細かいけど、出ンときに「よッ、助六師匠!」とお声がかかってそっちをニヤッと指差す、という仕草がすごく良かった。そこだけ切り取って見せるんじゃなく、高座へ登る一連の動きでサラッと見せるのがナチュラルでよろしい。