●ダンタリアンの書架・12話。玻璃の目をした白磁の肌の、傀儡のような女の子。彼女が奏でるヴィオロンは、この世の調ならざるや。てことで自動人形娘さんが「幻曲」によって人々を操るお話である。当然その裏には悪事の糸を引く首魁が居て、物語の終わりにはヤッツケられちゃうんですけどね石塚運昇声で。まあ。
こないだ香りをベースにした話してたけど、今回は音っちうワケだ。謎の悪魔的音楽家による名状しがたき音楽というと何やらエーリッヒ・ツァンのような…、っちうか元ネタはパガニーニだろうな。人工的存在が音楽芸術で人々を魅了するっちう側面だと、カラクリ的ボーカロイドっぽいものと見ることもできようか。いや歌じゃなくて演奏だけどね。
ヘタこいて地下室に縛められ、ふと気づくと自動人形娘に話しかけられているという状況。ここで縄を解けとかここはどこだとかの常識的なことを一切言わず、人間性の感じられない相手のセリフにそのまま沿った会話を続けるヒューイさんが面白い。本人の資質がそうだからということだろうが、現実性があまり顧慮されない幻想譚の雰囲気が濃厚に感じられてよろしいと思った。そういやこの娘さんのお名前がクリスタベルさん…ああ、コールリッジか。いや読んだことないけど、どうせ麻薬とかでラリってるようなお話なんでしょ? 合ってるよ合ってる(ひどい偏見)。
●うさぎドロップ・最終話。前半はこないだの続き、コウキママの風邪を見舞う話。何かにつけてエエ雰囲気になる大人二人がなんかおもしろいが、そのままくっついちゃえってな感じがありすぎるってことは…なかなか上手くいかないというシコミなのかしらねえ。確かに大吉がぼおっとするのもよく判るママさん魅力満載。風邪引いて体調悪い状態の、ぴょいと飛び出た乱れ毛とかお辞儀してすっと上着を肩に戻すしぐさとか、そんなんでさえキレイだ。見舞い用の買い物シーン、りんちゃんと大吉が同じスポーツドリンクのサイズ違いをチョイスして一緒のかごに入ってるのが良い。寄り添うペットボトルがまるで親子のようだ。
後半は縄跳びとか歯の抜け代わりとか。おガキどもが寄り集まって縄跳びの練習してるシーン、どいつもこいつもいちいち微笑ましい。子供とか家族とかにとんと縁のないワシだけど、これはニヤけてしまうわな。あとあー、「乳歯が抜けた用のケースがある」ってのはワシも初耳でへえ、って思ったっす。ワシもコウキスタイル、下の歯は屋根へ上の歯は土へ、だった。あと歯がぐらついたらとーさんにグイッと引っこ抜かれてたからなあ。おかげで歯並びはエエのですが。
季節は一巡りして秋となる。りんちゃんはおじいちゃんの墓に「私ね、大人の歯が生えてきたんだよ」と報告する。去年よりずっと大きくなったりんちゃんの成長を示して、ここに一旦の終了…という。うん、エエ感じのシメやね。
原画が毎度ながら豪華。ロール一枚目もスゲエが(合田浩章とか)、特に二枚目のメンツがすごかった。藪野浩二、中澤一登、田中将賀、鈴木博文、中嶋敦子、…波連ってどなた? 検索したら謎の人らしい。あれこれ説はあるようだが、ま、おいとこ。
●総評。三十路男がある日女の子を勢いで引き取っちゃう話。基本的にはスライスオブライフのストーリィであり何か劇的なイヴェントが発生するタイプの話ではない。となると畢竟、日常の物語の作り方とその演出でキッチリとフックを作っていかなければならないのね。その点において、この作品は非常に優秀だった。ノイタミナって強いね、こういうの。
現実に比べればいろいろとファンタジィなところもあるのだろう。まー一番は大吉とりんちゃんの、あのデキた人間ぶりなんですけどね。それを置いとくと、育児のために負担が少ない部署に異動するとか、一時保育の施設を探すとか、まずそういう辺りのリアリティの作り方。ワシ如きこういう世界に縁の無い人間にとってみれば「おーそれもそうだ、なるほどねえ」とかそんな感想しかでてこないわな。…リンちゃんの服買いに行ってサイズをどうしたものやら困惑する、っちうシーンが一番象徴的に判りやすかったな、ワシ。
あとこの作品、各々の視線が絡んだレイアウトにものすごく繊細なのね。背のちっちゃいリンちゃんから見た大吉の手、大吉の顔。それらに安心感や信頼感を乗っけてくるレイアウトが本当に上手い。淡い水彩画のような画面も効果的で、結構厳しい人間関係の話もあるこの作品の、全体の雰囲気をやわらかくしている。これもCGによるアニメ作りの功績やよな。セルと絵の具ではなかなかこうはいかない。
まー何だ、あとはもう、りんちゃんかわいい。ちょいとした拍子に見せるヘン顔がとてもかわいい。それと大吉かっこいい。あんな心イケメン知らんですわ。かっこよすぎる。てことでえー、りんちゃんかわいかったです。何やねんそれ。原作は見てみたいが、映画の方は多分見ない。
●夏目友人帳 参・12話。夏目の過去と塔子さんの話。友人たちから「お前転向繰り返した割には素直だな」と言われ、そうでもなかった昔を思い出す夏目さん。その転機となったのは塔子さんとの出会いであり、現状にはとても安らかなものを感じているが、表裏一体な事件も存在していたことを思い出す。寂しさを喰う妖。そいつの言葉と行動から逃れるのは難しい…。
この一つ目妖怪はこの作品らしく、善の悪のと割り切れない「そういうもの」として描かれている。確かに手前勝手に契約しようとしたり襲いかかったりするが、多分こいつの行動理由も寂しさによるものだ。…だから再封印ではなく、先生によって消滅させられるというラストにはいくばくかの寂しさも感じられる。こういう存在は人とは死生観も異なるだろうけれども、ね。
一つ目妖怪に沢海陽子。脚本だけ見るとちょっと寂しく恐ろしいバケモノなんだけど、姐さんの声が乗っかったおかげで何かツヤっぽい雰囲気になってんのがおかしい。人と異なる価値観による行動のはずが「オンナの妄執」っぽい風情をまとっちゃったというか…。あと引き取られ先のお兄さんが櫻井孝宏だったので「何? 積極的に関わってくるの? それとも裏切るの?」とか思ったら単にとってもいいひとだった。病院のシーンとかでチラッと言及されても良かったくらいなんだけどな。
●異国迷路のクロワーゼ・最終話。ユネさんはすっかりこのギャルリに馴染んでいる。そんな中亡き親父との確執にも心で一応の整理はついてるのかなと思いきや、割とそうでもないクロードさんのご様子である。彼が仕事場の小さな手袋に拘泥する理由は何か。…さ、そろそろこないだのおとしまえを付けて、ユネちゃんにジャン父ちゃんとのことを語ってあげなければなるまいよ…というね。
猫に牽かれてギャルリめぐり、ってことでユネさんはふらふらと危ないところに出向いてしまう。件の猫の看板が父親の作品であることを鑑みるに、あの鈴の音の主である幻の猫は「全くグズグズしてんなこのガキは」ってことで一肌脱いだ、のでしょうね。いやホンマにそうなのか否かはどうでもよくてね。
ちょっと危ないシーンはあるものの、まいどながらとりたてて大事件も起こらないお話。しかし一応のラストだけあって見た目に判りやすい総括的シーンはある。それは無事帰ってきたユネとジャンを迎えるご一統の勢ぞろいショットであり、今までずっと下から見上げてきたギャルリを見下ろすショットである。「ユネはここにいるだけでいい」という少々前時代的にも思えるジャンの言葉は、自分が「ただそこにいた」ことの価値に気付けなかった裏返しでもある。「ただそこにいる」のを肯定するのはその人の全存在を肯定することである。…そ、家族や同胞として、だ。
●総評。前世紀末…って言い方はもう十年以上前にこの用法では間違いになってんだよなあ。まその19世紀末に単身フランスへと渡った日本のお嬢さんがいろいろとしたりしなかったりする話。典型的な「雰囲気アニメ」であり、となればその雰囲気を醸成するために最大限のリソースとノウハウを使わねばならない、というタイプの作品である(その意味でシリーズ構成にサトジュンのおっさんってのはこれ以上無い適任ではありましょうねえ)。
物語のテンポはゆったりとしているが、しかし鈍重でちっとも進んでくれないというワケではない。ゆっくりではあるがユネさんは新たな文化を知り、そしてパリの人々は同じくユネさんを受け入れてゆく。その中にあっても変わらない、心情の差異を通してお話は語られる。
どのキャラも好ましく立っているんだけど、一番興味深いのはやっぱしカミーユ姉さんでしょうねえ。この物語にあって最も入り組んだ感情を秘めたお人。普段はその複雑さをあまり表出しないだけに、曰く言いがたい「何か」を後ろに隠しているように見える。そんなお姉ちゃんにもちゃんと正対できるユネさんは、イノセント最強主義の旗手ではありましょうなあ。
あと色彩設計というか見た目の整理が上手い。主要舞台のギャルリはタンやブラウンの落ち着いた色調、ブランシュ家は明度の高い華やかな色調。そしてユネさん(の和装)はそのどちらとも違う、紫や臙脂のような和風のカラーによって表現される。この統一性がかなり徹底していて、視覚的にホンマ紛れが少ない。丁寧っすよね。
てことで楽しく鑑賞しました。また新シーズンがあるならば見てみたいが…どうだろ、原作ってそない溜まってないのと違うやろか。