青春の熱き血潮の思い出

●何となく思い出したので記述しておく。小学校の頃林間学校か何かでキャンプファイアーをやった。よく知らんがそういうのを定業にしているらしきお兄さんたち、スカウトか何かでしょうかね、そんな人々がセッティングおよび切り盛りしていた。ダンスにゲームに語らいにとシーケンスは進む。しかしワシのガキの頃であり大概昔ではあるが、当時から不活性気質もりもりであったワシらの行状を見たのだろう、リーダーっぽいお兄さんが炎のそばにみなを集めて訥々と語る。君たち若い子供はそんな白けてちゃダメだ。歌を歌うなら全力で歌おう、体を動かすのなら力いっぱい動かそう。知った風に構えていては折角の若さが台無しになってしまう。このキャンプファイアーを見たまえ。これに使ってある生木ってのは実は燃えにくい。まるで君たちのようだ。しかしほら、こうして一旦炎と共にあれば、ガソリンも油も無しに明々と燃えることもできる。君たちは一生、くすぶって燃えることもないような人生を送りたくないだろう。ならば、燃えよう。熱くなろう。それがそれこそが、無限の可能性である若さなのだ…と。

いい語りだった、と今になってみればそう思う。ワシが似たようなこと語れといわれたらあそこまでエエ感じにはできなかっただろう。感動と情動の良い演説…うん、そう思うよ。昼間の準備段階で、お兄さんたちがファイアーの木を組んだ上からガソリンだか油だかをぶっかけてるのを見なかったらね。…だってしょうがないじゃない! あの林間の広場ってワシら普段の遊び場だったんだもの! そら否応無しに目に入っちゃいますよ! ワシらの責任じゃないですよ! ねえ?

教訓としてはまあ、シコミありのエエ話するならシコミを見せないことに最大の留意をすること、ですかね。それがガキ相手であろうが何であろうが、である。