ゴシック/シュタインズゲート/C/あの花

GOSICK・23話。時代の流れは人々に暗い影を落としている。囚われの身のヴィクトリカさんはチェスに見立てた世界の行く末をブロワ侯爵に語るオシゴトを続け、そして侯爵は首尾よく自分の地位と世界の様相を掌握しつつある。…しかしこの世界では10年以上も早くポーランド侵攻が発生するのね。これも何か理由があったりするのだろうか。とまれ、鬱々としたヴィクトリカさんに差し伸べられる救いの手は久城さん…ではなくてお母んの手でした、というお話。


相変わらず脇の甘い、というより「語りたいことだけしか語らない」流れでして、ヴィクトリカさんの易々とした救出劇とか突如爆発する演壇とかヘンな演説されてうろたえ倒してる侯爵とか、お前らもうちょっと警戒なりなんなりしとけよっちう印象を受けんでもない。とにかくブロワ侯爵にとってのヴィクトリカさんの重要性、そしてその保護度合いが割と曖昧なままなので「いや別にそんなことせんでも」とか思ってしまうのよな。クライマックスの剣戟シーンも非常にかっちょよろしくてエエのですが、お互い何故一騎打ちしてはんの? とか思ったり。まァ正解は上記の如く「かっこいいから」でしょうけれど。そしてそれは正しい制作態度なのだけれど。うん。


「ここには君が居ない」と漏らすヴィクトリカさんの台詞どおり、久城さんはBパートになるまで物語に登場しない。登場しても物語の舞台とは遠く離れた異国の地である。…てことは当然、次回における絶対のピンチに颯爽登場、っちうシコミですな。ヒーロー的見得切りを期待してますよ。…このまま「ヴィクトリカどーしてるかなー」で終わるという衝撃のオチでもそれはそれで…いやあんまよくないか。まいいや。


Steins;Gate・13話。ワケも判らぬうちに殺害されてしまうマユリさん。オカリンは最後の瞬間、記憶の過去搬送を決行し、成功する。ワヤクチャになった未来とマユリさんの命を救わねばならぬと足掻くオカリンであるが、しかし「組織」の手はすぐそこに迫り…そしてまたマユリさんは死んでしまう。ええいもう一回! 今度は上手くやらないと! ようし組織の追跡も振り切った! しかしナエちゃんとの事故によりマユリさんは死んでしまう…!


うーん、三回目のは(ナエちゃんが組織の人間だとか、あるいは組織によって操られてたとかじゃなければ)事故であったし、これはひょっとして「マユリさんの死は逃れられない」っちうことでしょうかね。ならばオカリンの行動は蟷螂の斧だが、ここで何の理由もなしにマユリさんのことを諦めるワケもないし…どういう手段をとりますか。その前に「組織」とその行動の謎があるけどね。アレはやっぱSERNなんですかね。モエカさんはその構成員なんですかね。まいいや、その辺はおいおい。


それにしてもその「組織」、構成員の練度やら何やらがイマイチプロっぽくないなあ。ホンマに国家が親方のプロ集団かどうかは保留やな。あと繰り返される「がたんがたーん、しんかんせーん」「違うでしょ、新幹線は白いの」の通りすがり親子の台詞は覚えておこう。絶対何らかのシカケとして使われるでしょーし。


●C・最終話。現在を死守するミクニさんと未来を奪還するキミマロさん。しかしミクニさんの言うとおり、根っこの所の目的は同じお二人なのである。未来を切り捨ててまで今を守ろうとしているミクニさんの行為のエクスキューズとして「病気で未来のない妹」が与えられているのだが、…まあ何だ、「現状を維持したい層」の象徴でもあるよな。


現状維持の意志は未来の希望に敗れ、現在は大きく改変される。日本円はその価値を失い「日本ドル」に取って代わられたものの、それでも豊かな社会はそこにあるのでした…でシメ。現状維持のためのミダスマネーが真っ黒、輪転機を逆転した状態では真っ白、そして開放されてゆく各々の「未来」は虹色…とまあ、ちょいと恣意的な色彩設計のおかげで展開が判りやすい。ホンマにそれが正解だったのか、ってのはともかくね。


最終回だけあって作画状況はかなりハデ。特に大きな割合を占めるバトルシーンは、エフェクトやアクションが一段豪華になってて見てて楽しい。あんまし必要性もなく板野サーカスやったりして、サーヴィス満点でよろしいな。最後におのが拳でぶん殴るトコのガシガシ線画とかもおもろかった。原画陣に村木靖、宮沢康紀、橋本敬史などなど。


●総評。金融と経済をテーマにしつつ、現実的ノウハウや教育的な要素をかなり排してエンタテイメントに徹したオリジナルアニメ。実際、現実世界の金融要素はあくまでディテイルと舞台設定がメインで、その道具を使って割と普遍的なドラマに落とし込んだという体裁。もちろんこの作品を通じて現在の金融経済システムを考えるというのは十分に意味のあることだろうけれど、ワシはあまりそこら辺には興味がない、ってかちっとも判ってないので特に論じません。得意な方にお任せ。


で。ワシは中村健治監督の過去作については苦手意識があって「今回はどうだろうな」と思ってたのだけれど…うん、この作品についてはかなり楽しく視聴させていただけたなあ。相変わらず現行アニメシーンの主流からは離れたデザイン/画面設計は目を引く要素で、そこはワシも好きなトコ。そして前作「空中ブランコ」でワシがあまり感心しなかったプロットの弱さ、ありきたりさだが、今作に関しては割とフッツーに「おお、それでそれで?」と次回を楽しみにしてたのさ。特にセンノザさんの登場と退場の話は非常に強い印象を残してて、それ以降の視聴にエエ感じの方向性を付けたなあと思う。


登場人物ではミクニさんの描き方かな。経済関係にあまり興味がない(≒ワシの視点に近い)キミマロさんに対して重要な示唆や思想性をもたらしつつも、しかし制作側はこのキャラクタに総体としての「正しさ」を置いていない。云わば彼は主人公が越えるべき壁としての存在なのだが、同時に主人公キミマロさんの立場も完全な正解として描かれていない。もとよりキミマロさんに与えられた属性は「惑う者」であり、よう判らんこの金融世界に対し常に考え続ける、というキャラなのである。それがまあ、スタッフの考える正道ってことなのだろう。


ヴィジュアルに関しては上記のごとく凝ったものである。しかしカードバトルアニメのパロディみたいな金融バトル描写は、最後まであまり慣れることはなかったな。別にあんなケバケバしいハッタリ画面でなくても、とか思ったり。その他のプロダクションデザインもちょっとワシの趣味じゃないところもあったんだけど、まァそこら辺は個人の嗜好の問題ですね。てことで、うん。今作に関してはかなり楽しかった。ちょっとは苦手意識克服できたかな?


あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。最終話。龍勢花火を打ち上げてもメンマさんに変化はない。何故だろうかと自答するバスターズさんたちであるが、それぞれみんな心当たりはある。自分は本当にメンマの成仏を願っていたのだろうか。メンマのために願っただろうか。…メンマさんの存在は彼らにティーンらしい心の乱れを残してゆく。わだかまり言語化し外部化し、ちゃんと向き合ったそのとき。…メンマさんは消えようとしている。そう、彼女はいつも他人のために。


バスターズ五人が一つ所で感情を吐露するシーンが複数回あったけど、何やら舞台演劇っぽいというか、ちょっと「作った」印象が前に出てたような気がしたな。今まで比較的ナチュラルな演出が多かったから余計にね。もう少し台詞絞って間合いと絵面で見せても良かったかもしれない、というこれは個人的感想。


けどま、なかなか上手いこと着地点を決めたんじゃないでしょうかね。朝の陽の光に透けて消えてゆくメンマさんの絵はベタながらうるっと来ましたし。あと、半分消えかけてるメンマさんを背負って走り出そうとするジンタンとか、かなり粘っこい作画の「人体言語」で話を語ろうとしててちょっと面白かった。


●総評。青春群像オリジナルアニメとしてかなり質の高い作品だったっすね。ただ確かに総体としての質の高さは充分なものの、アチシ個人としては第1話、あのインパクトと期待感がちょっと高すぎたかな、とかゼエタクなことを思ったりした。そんくらい1話見たときの「お、こいつはすげえかも」感覚は高かったのだな。再度言うように結局は上々のデキで終わったんだけど、シメとしてはもうちょっとスゴイことになっても…とかね。いやこれは求めすぎだ。


メンマさんが幽霊のように蘇ってアレコレしてるという一つのホラを中心におき、周囲は地に足ついた描写で固めるという一点突破手法は割と好き。人々の行動や反応だけに限らず、小物の商品名や風景描写などできる限り現実に即した画面作りをしていた、ってのもそういう方向性の現れだろうな。うん、そういうリアリティがあったからこそ、ユキアっちゃんのあの行動が衝撃的だったワケですしねえ。…勢い余って半分ギャグになってたような気もするが、まあ。


やろうと思えばドラマでもできたかもしれない、そんなリアリティの作品。しかし登場人物の年齢を考えると、民放というよりはNHKっぽい感じだな。民放夜でやるとなるとこれ、絶対年齢引上げて有名タレント使うよね。そう考えるとアニメでないと出ない「雰囲気」ってのは確かにあったと思う。…うん、1クール充分に楽しみました。もう1話2話あってもよかったかな、っちう辺りでスッパリ終わるのが潔いかもしれない。