めんどくさいワシ

●以前の職場の相手先にめんどくさい人がいた。別に悪意があって業務を妨害してくるワケでもなく単によう喋るってだけなのだが、その喋りってのがめんどくさくてですね。


まずこの人はラベリングが好きなのである。「あの会社の人は」とか「いまどきの二十歳代は」とか「所謂米国人ってのは」とかはまだいい方で、「何県の農村の次男坊はみんな性格が甘い」なんてなことも普通に言う。ある個人や一部分を見て、その特質をそれが属している集団全てに敷衍するのだ。そらまあ、ある集合の一定の特質を抽出して判断するってのは簡略化として有意義だけど、数例だけ見てそれヤられちゃたまらんわなあ。


あるいは実際に自分で見なくても構わない。TVで言ってたから/本で読んだから、などの薄い情報でそういうラベリングをするのである。この人にとって「なるほど」と思い筋道が通った瞬間に、それは唯一無二の「真実」になっちゃうのだな。説明可能ならばそれは真である、と。


そしてその「真実」を滔々とワシらに披露してくれるワケだ。あなたたち知ってますか、実はこれはこうなんですよ、すごいでしょう怖いでしょう。「…それはそこまで言い切れるものじゃないのでは」とか漏らそうものなら向こうの思う壺。ふうこれだから無自覚な人はねえ、未だにそんな遅れたことを言うとはねえ、てな表情浮かべて説得してくるのだが、上記のごとく論拠が薄っすいので、基本的に同じことしか言ってくれない。


それだけならただの話し好きさんとも言えるが、問題は「そのとき」彼の中で是とされる価値観以外を本ッ当に認めないこと。別の価値観は全て「蒙昧な人がしがみついている未熟な考え」なのな。…こういう人の話にガッツリ乗っかるのは怖いよ? うっかり「うん、ワタシもそう思いますね」などと言って、あさってになってその人の内部で価値観が変化してみ? 「いやあ前はそう思ってたけど、未だにあんなこと言ってるヤツはダメだね愚衆だね世の中を知らないね」などと過去の彼と同時に自分の方まで全否定されてしまう。


●そして、そういう「めんどくさい」と感じる要素全て、「ああ、ワシもそういうとこあるなあ」と感じてしまうのが何よりめんどくさい。ワシも考えナシにラベリングや簡略化をするよな。それに反論されると「あ、コイツまだ判ってないな」と思うよな。自分がすでに通過廃棄した(と思い込んでる)概念を見たら嘲いたくなるよな。でもその論拠をよくよく遡ってみると「話を聞いた直後に実例を一度見たから」とか「ネットで複数の人が言ってたから」とか、その程度のことなんだよなあ。


無論仲間内のダダ話なら全然気にすることでもない(どころか積極的にバカ理論を言う言う)し、また「確たる信念」そのものは重要だろうし、それを自分の行動の指針にするのもエエことだ。でも、それで他者を調伏させるとか説得させるとかするのならば、絶対とは言わんまでも、少なくともテメエでできるとこまできっちりと突き詰めた地盤でもってやるベキだ、という、まあ、当たり前の話だわなあ。その当たり前ができんワシなのでめんどくさいのではあるが。うん。