ミッドナイト・ブルー

●ナンシー・A・コリンズ「ミッドナイト・ブルー」読了。ヴァンパイア・ハンター姐さん大活躍のお話である。心ならずも吸血鬼となってしまったソーニャ・ブルー姐さんが、自分をこんな目に遭わせた人外野郎ども(や、そうでない人たち)をズンバラリンと斃して斃して斃しのける、という。…ちうかこれ、連作シリーズの一巻目なのね。道理でラスボスにまでたどり着く前に終わっちゃったワケだ。話自体はこの一巻でちゃんとオチつけてあるんでエエっちゃエエのですが、まァ確かに状況設定だけっぽい感じはあったか。


道具立て見たら判る通り、これはB級映画のノリそのものでんな。それも「予算がないから」「儲かるから」のB級ではなく、「ビッグバジェット映画ではどうやったって自分の表現を許してもらえないから」タイプのB級。なんせこの作者さん、あとがき見たら次回作の内容を聞かれて「暴力、セックス、それと暴力的なセックス」と答えるようなお姐さんですよ。カッチョエエなオイ。


序盤にブルーさんがチンピラ集団相手に大立ち回りを演じるシーンがある。この時点ですでに凄いよ。野郎の股間を蹴り上げて睾丸と骨盤を同時に粉砕し、殴れば殴ったで下顎まるごと吹き飛ばし、ナイフで胸刺されても肺の一部を吐き出して笑いつつ相手の脊髄を握り砕く。この辺の人体破壊描写、なんとなく筒井康隆のソレを思いだしました。足の甲踏み割られて「遠吠えのような」声を上げるチンピラとかな。


ブルーさんの精神内部には、人間的でマトモな性格の「主人公」と、ヴァイオレンスでイっちゃってる「彼女」の二人が居る。当然、例えば上記荒事シーンでの行為主は「彼女」、それを見つつ「お姉ちゃんやめてあげて」と無為な叫びをあげることしかできない傍観者は主人公人格、なんですがね。


解説の堺三保はこの二重構造に「倫理的」な側面を見出していて、それも当然当たっているのだけれど、ワタシは「読者が暴力に無理なく狂喜するための良いイイワケ装置」だなあと思ったのよな。主人公が自分の変化におびえつつ「これは邪悪な行為だ、こんなことをしてはいけない!」と言い続けてくれるからこそ、逆にワタシは「彼女」の狂乱に心から乗っかることができる。これが暴力一辺倒の文章なら、そういう自制的な超自我部分を「読者たるワタシの方」で担当しなきゃならない。それを文章の方でやってくれてンので、ワタシは素直にコロセウムの観客立場を享受できた、というね。まこりゃワタシだけの読み方かもしれませんが。


…ただ、ちょっと駆け足気味な展開が気にはなった。上で「状況設定のみ」とか書いたけど、特にブルーさんの過去には魅力的なエピソードが多い割にどうもダイジェスト気味なんだよね。この辺で二つ三つスピンアウトの外伝が書けそうですよ。テンポがいいとも言えるが、こういう伝奇モノの演出としてはなんかもったいなくってさ。


とまれ、暴力のタガの外し方においてはアチラの人には敵わんなあ(そしてそれをちゃんとしたエンタテイメントに仕上げる手管もね)、と思わされましたですよ。…途中に出てくるヘンな日本人も楽しいよ? 北斎さんという刀鍛冶だ。多分千葉真一が演じてます。てことで、うーん、次巻見つけたら買ってみたいな。…古本屋で。