モヤモヤ茹でる

●国語試験なんかに対義語とか反対語とかの問題があって、そういうのを見るたびに何となくモヤモヤした感覚がぬぐえないのは何故なのか。何故なのかってワタシが感じてるだけのことなんですけどさ。類義語や同義語ならまァ判る。あーこれ似てるよなーてなアバウトな感覚レベルでね。でも「異なる」という尺度ではなくて、反対や対義と言われるとものすごく厳密なイメージが喚起されるのだ。それこそベクトルが真反対ってことでしょ? ですよね?


テスト的な問題だと、ある単語に対する対義語はほぼ一意的に決定されている。ここにワタシがモヤモヤする肝があるんだろうな。自然言語ってそんなストリクトなものなんだろうか。時代や地域で言語の意味も移り変わるだろうし、また語意という「状況にたたき上げられて成立した」ような概念がそこまで単純に反対方向へ向くのかしらとか思ったりもするし。「まァ現状はこの単語にはこれとこれとこれ辺りが反対っぽいんじゃねーのかなー」てなことしか言えないのではないかなあ、とね。


●…とまあ、益体もないぐだぐだ文句を思い描いている間にパスタが茹で上がったのでキノコバタで絡めて頂きました。キノコパスタに大葉の刻んだのをトッピングするのは大学時代に学内食堂で覚えたヤリクチであります。香ばしくも脂っこいパスタによく合います。ごっそさんでした。


そういや中国語の外来語音訳も昔不思議だったんだよな。中国語ってアルファベットを使わない場合、全部漢字で音素を表現するでしょ。あれなんかよく一義的に決定されてるよな、と思ってたら案外やいのやいので表記の揺れがあると聞いて、あーやっぱそうなんだと妙にホッとしたりしてね。なんとなァくの最大公約数的なノリでやってんだろうな、多分。