おとなの天ぷら

●スーパーの惣菜部でたらの芽の天ぷらを売っていた。あー、なんか旨そうだぜ。でもなー、天ぷらは買って帰るとふにゃけてしまいますからねえ。と思ってタイムサーヴィスの箱を見るとたらの芽とふきのとうがあった。おっし、こっちの生の方を買ってテメエで天ぷらにしようと思う。あと安売りのとろかれいも。


えーと…天ぷらの場合は特にあく抜きとかしなくていいんだっけ? (ネット様に伺い中)…そのようですな。じゃそのまま揚げよう。一応洗って粉振って、かれいも一緒に天ぷらにします。はいしました。天つゆが無いので毎度のおろしポン酢で喰いましょう。頂きます。


…うむ、旨いーんだーゼー。確かに揚げると余計なクセが取れて美味しくいただけますな。何でだろ。サクサクとした食感とほのかな苦味、かれいの天ぷらも実に美味である。狙いどおりの料理が出来るとそれだけで嬉しいなあ。新規挑戦は基本的に失敗するのがワタシだからな。


●ガキの頃はふきのとうみたいなもん、何が旨いんだかちいとも判らなかったものだ。今となっては唸るほど旨い旨い。これぞ大人の味ですわなあ。まその、ワタシにとって「大人の味」ってのはニアリーイコール「舌貧乏の楽しみ」なんですけどね。


そらまあそうでしょう。トシによってですな、まず濃厚な味だの脂っこさだのを受け付けなくなってくるでしょ? これは味覚のリッチなレンジを失ってるに他ならないワケだ。そして苦いのやえぐいのも喰えるようになってるでしょ? これは本来危険だと認識すべき化学物質に対して鈍感になってるってこと。つまりワタシの「大人の味覚」ってのは、限定されたリソースの中しょうがねえので深化していった味覚なのだ。


無論、限定条件下における世界の広がりってのは大概なものがありまして、それは韻律詩とか俳句とか見ても明らかなのであります。だからワタシはワタシの舌貧乏を恥じる事はない。がしかし、やっぱしその、「ダメになった末の楽しみですよ」というある種の後ろめたさはあるのですなあ。だからこれは味覚だけに限らないんだけど、「大人の趣味」だの何だのを大声で喧伝してるのを見ると妙に恥ずかしいのですよね。そない「枯れてますよ」って主張を前面に出されてもなあ、とね。


ああいうのはウチでこっそり、ヒッヒッヒと楽しむところに良さがあるのじゃねーかなー。えー、中には有り余る若さとパワーを維持したままワビサビをも楽しむ方もいらっしゃるんでしょうけどね。それは単純にうらやましくてねたましいので、どっかいけ。