過去の匂い

●見事な夕立であるな。これで少々でも涼しくなれば良いのだが。…ってとこで、久々に嗅いだ匂いがある。あっちいアスファルトに雨が降った時の匂い。何が匂ってるんでしょうね、アレ。コピー機の裏っかわもあんな匂いするぞ。


あの匂いを嗅ぐと、小学校の帰り道を思い出す。それも土曜で半ドンの昼間だ。夕立体験だとすると少々時間が早いような気がするが、でもなぜか真昼間。においに付随する印象って、リクツと違うのよね。


以下は大昔の日記に書いてたもの。オチも何も無いので気にするな。


アシモフ曰く「過去を見たり聞いたりは出来ないが、過去を匂うことは出来る」と。「むっ、そこに5分前にいたお前は灰燼20面相だなっ」と言っている人はちょっとおつむがナニだが、「おう、どうやらみんなで昼飯に牛丼食ったようだな」と言っても別にヘンじゃない。人間の遠距離感覚3種のうち、嗅覚は最も有効に過去を感じることが出来る能力である。


敷衍すれば、視覚は未来予測に、聴覚は同時的に、嗅覚は過去に対して有効だ。おお、よく出来てるじゃないか(この項すげえ怪しい)。


脳内の嗅覚を制御する箇所は言語野と離れたところにあるので、視覚等と異なり嗅覚を言語化するのはとても難しい(味覚も同様)。その代わり、逆に「言語にしにくい記憶」を思い出す手段としてはとても有効だ。


例えばワタシにとっての灯油の匂い。それは瞬きもせず天球に張り付いた青い星々、寒さに震えながら縁側を渡る足の裏の感触、乾いた風が蓬々と吹く明るい曇り空の日々、日に焼けたコタツの上掛けのざらざらした手触りなど、実家の冬支度の思い出を重層的に甘やかに呼び起こすものだ。そういう意味でも、嗅覚は過去への結びつきが深い。一種のタイムトラベルである。


過去と結びつく嗅覚。そのせいかどうも匂いってのは、内側へ内側へと向かう感覚であるような気がする。トシのいった人たちが過去に生きる傾向があるのは、視覚・聴覚が衰えて、頼れる感覚が嗅覚メインになってゆくことにも一因があるのではなかろうか。…違うか。