ディスいずコミュニケーション

●以前職場の人と脳みそと性差の話をしていて、どうも噛み合わないなと思ってたら「脳みそに器質的な差がある」というこの文言についてお互いに違う理解をしていたってことがありましてね。ワシは「器質的」、形状や構造等の物理構造で異なっていると言ってるつもりだったのが、向こうは「気質的」、形は変わらず精神的な内面で異なっていると受け取っておられたワケだ。こういうとき、日本語の同音異義語の多さはちと問題ではある。特に漢字による熟語ってのは頻出音韻がかなり偏ってますもんね。同じ、あるいは類似した発音で意味が全然違うって場合も多い。

いや、上記の例のように明らかに真逆のケースならば話してるうちに間違いに気付く分だけまだよろしいのかも。一番厄介なのは意味そのものもどっか共通点があるとか、文章としてヘンに意味が通っちゃうとか、そういう状況なのかもしれん。ワシが今パッと思いつくのはおざなりとなおざりですが、世間には他にもそういうケースが多々あって、かつ気付かれないままスルーされてたりすんだろうなあ。

…とまあ、そんなことをふと電車通勤中に思い出したは何でかよう判らん。人がぎゅう詰めにいっぱい居てんのに全く発話のない、そんな状況から逆説的にコミュニケーションのことが気になったとか、そういうことかしらん。どうでもいいや。じゃ!