サニーボーイ/かげきしょうじょ

●サニーボーイ・9話。雪原にて、コピーをめぐる戦いと諦観といくばくかの猫。ミズホさんちの猫たちは、あれこれシニカルなこと言いながらミズホさんへの過保護な感情を捨てきれない、まあネコらしいねこである。彼らの能力である調達は、コピーを元にしている。それはこの異変の根幹のようであり、つまり今この物語に出ているキャラクタはコピーなのではないだろうか。だとしたら、その未来には何がある? …コピーされた「双子」が均衡を崩して片方のみ残るとき、彼は「空しい」と言った。そんな空しさが、このご一統に訪れなきゃいいけれども。コピーのでかちち先生がどこまでメタ的に状況把握してるのやら、それが判らんのがもどかしいわねえ。

ミズホさんちの猫に島田敏辻親八津田匠子というゴリゴリのベテラン。このおかげで人間とはちょいと違う達観加減というか、異質なようで情緒的な雰囲気があっておもしろかった。なんかホンマにあんなこと言いそうだもんな、猫。

●かげきしょうじょ!!・11話。うんどうかいのあとはぶんかさい。ここに主人公たち予科生たちがしゃしゃり出る(出される)ことになるので、いろいろと情感的な起伏が発生する。寸劇としてのロミオとジュリエットをお出しする上で、各人はオーディションを受けることになるのだが、という話。ティボルトという変化球な役に苦労する中、自分のそこそこ根源的な感情に気づいて打開しようとするサラサさん…の前に、同じく「恋が判んないのに恋焦がれるジュリエットをやんなきゃなんない」アイちゃんのエピソードですな。キッカケとしたのがサラサさんへの思慕ってのは百合的ではあるが、どちらかというとそれ以前に「恋を分化できていない未熟さ」を自覚しつつそれを力技で変換して打撃武器とした、ってのが近いのかなあ。そういうことができるってことこそが経験であり才能でもあるんだろうけども。

アイちゃんに過激で的確な助言をした後で、地続き的に「ここ拭き忘れてる」と笑顔のイヤミを放つ花澤さんのヒジリ先輩がいいなあ。あのイヤミはそれまでの言動行動へのカウンターとして、なんか芥川の羅生門にて「下人がにきびから手を放す」シーンを思い出した。