赤瀬川考現学的なるもの

●近所のお家が更地になりなんかマンション的なものになるらしい。ウチの近辺はかなり古くから区画整理が進んでないとこのようで、「この先幅員狭し車両通り抜け不可」みたいな表示があったりするんだが、新たに借家稼業をやらかすにつき車も入れない路地ってのは具合が悪いようで、なんかかんか道を広げている様子がある。

しかしある一角は電信柱によって道幅が規定されており、これを広げるのはムリだよなあ…と思ってたらその路地も広げる工事をしてるようだ。どうやら横っちょに新たな電柱を立て、そっちに機能を移管するらしい。今日見たら以前の電柱からは電線や付属施設が取っ払われて隣の電柱に移っていた。このあとこの古い電柱を撤去する作業があるんだろうけど…何ですね、何の機能職能もなく、ただそこにズドンと立っているだけ、という電柱の姿は何か記号的であるな。余計な付属物・不純物のない純然たる「柱ァ!」みたいな。そんなもんが、狭いとはいえ舗装された道路のど真ん中にごォんと屹立してるという風景は、見ようによっちゃすごく不思議ではある。この現代にてはおよそどんなものでも何らかの意味や職能を持たざるを得ないものだけれど、それに抗うように時空間のある一区画にだけ存在する純粋概念的存在。現実的で世俗的な機能性を頑として拒む象徴としての一本の柱。…ま、べつにそんなえらぶつなもんでもないんですが。