麦茶および人の温度感知能力について

●涼しくなってきたのでもうそろそろ飲用の麦茶はテメエで沸かして製造する運用にシフトしようかなと思う。夏場はアツくて湯ゥ沸かすなんて極力避けたいイヴェントだったが、この気候なら少々湯沸ししても我慢もなるだろう。しかしこの、我慢ならんのとなるのとの温度差ってェのは、実際に測ってみるとそう大きな差異でもないのよな。風呂の湯加減のように熱伝導率が高い媒体に囲まれていると如実だけど、なんつーか人って快適の有効域が狭いのよね。風呂の湯は37度じゃ温いし43度だと熱すぎる。狭い。実に狭い。

もうちょっと融通利かせてくれてもエエんじゃないのとか思うワシなのだが、でもやっぱ人間ってそういうもんなのだろうなとも思ったりする。つまりは自分の生活環境の上限と下限、そのいっぱいいっぱいの範囲に体を合わせてしまうんだよね。今の夏の気温が40度だ何だ言うてますが、これがたとえば45度の環境下となれば多分それが不快感の最大値にアジャストされちゃうんじゃなかろうか。反対に35度が最高温度の環境に慣れ親しんでくるとその温度で不快感が最大になる。その不快感は40度の状況と比べて劇的に少ないとも言えないのだろう。

今の生活状況に諸々不満もあるけれど、その不満点をちょこちょこ取り除いても多分、その新たな環境に合わせて不満点の最大値が設定される。人は、というよりワシは多分そういう性格だ。どこへ行っても進歩の無い人間だ。多分ね。

などと思いつつ買い置きの麦茶を飲む。これらの市販品が無くなったら自分で沸かすことにするか。