夢の話は誰も聞かない

●夢を見る。高層ビルの最上階、時間外らしく薄暗いラウンジのようなスペースから逃げなければならない。追跡者は別の人物と談笑しており、この隙を突いて自分は非常階段を駆け下りる。二段飛ばし三段飛ばしとどんどん跳躍する段が増えてゆき、最終的にはフロアから踊り場までひと跳びで下りる程の速度までに至る。35階で一旦階段は途切れ、そこから別の階段を利用しなければならないのだが、そこに至る通路は高級中国料理店のバックヤードのようになっていて衝立や植栽などで塞がれている。消防法違反だぞ全く、と愚痴りながら見回すと丁度エレベータがこの階に着床したところであり、これ幸いと飛び乗って1階に下りる。ビルを出てすぐの場所から路面電車に乗って更に逃げる。ガラス張りの箱のような形状で大きさは電話ボックスの数倍程度、成人男子が三四人ほど乗ったらもう満員というやたら小さな交通機関である。乗り合わせたサラリーマン同士が話をしている。「この電車の路線はこないだ改良したようですね」「ほう、どんな風にだ」「乗り心地が良くなってると聞きますよ」線路が曲がり角に差し掛かると大きく内側に傾き、速度を上げて走り抜ける。このレーシングカーのような挙動がその改良点だろうか、と思いつつ適当な駅で下車する。そこそこの距離を走ったような気がしていたが路線が円環を描いていたらしく、乗車したところとそんなに離れていない。とりあえずそこから地下街に下りて更に追跡を撒こうとするが、雑然とした地下街の薬局の角に追跡者を見つける。学生時代の旧友に似た顔で無表情、冷たい目からは何も思考が読み取れない。慌てて身を隠すが向こうはこちらを確認しただろうか。地下街を抜けて地上に上り、そこからまた別の地下街への階段を下りる。こちらは薄暗い隧道のような様子で、しかし人通りは少ないながら皆無ではない。地下道から更に十数段降りたところにある何かの店の入り口に駆け寄り、扉を開けて逃げ込む。内部は意外にも暖かい光と和やかな雰囲気の軽食喫茶店であり、そこそこ広い店内には数名の客が居る。奥まった場所に居るオーナーらしき二三人の中年女性のところにゆき、済みませんがかくまってくれませんかと申し出る。「なあに誰かに追われてるの? 借金取り?」まあそんなようなものです。女店主は笑いながら「そこに入ってらっしゃい」と横手の扉を示す。金メッキの小さなプレートに「№6」と描いてあるその扉を開ければそこはトイレである。中に入り扉の隙間から店内の様子を伺っていると、まもなく追跡者が店に入ってくる。店主を会話をし、どうやらここには居ないと言われたようで店外に去ってゆく。安全を確認してトイレから出る。いやあ助かりました恩に着ます、と店主に挨拶すると「いいのよ面白かったし」と笑いつつ、小さな菓子パンのようなものを盛り合わせた皿を出してくれる。カウンターに座りつつ、いや申し訳ないちゃんと注文して何か頂きます、そうだなこれとコーヒーを下さい。…実はあれは借金取りではないのです。「そうなの? じゃあ何故逃げていたの」何故でしょう…あの男が追いかけてくるからでしょうか。「なあにそれ」と笑う店主の表情が硬くなる。いやな予感がしてカウンター席に座ったまま真上を見上げると、後ろに立った追跡者が覆いかぶさるように自分を見下ろしている。まだ追ってきていたのか。一体お前は誰だ。追跡者は冷たい視線でこちらを凝視しつつ答える。「俺が誰か、だと。判らないのか」その時、自分はこの男が何なのか卒然と悟る。そこで目が覚めた。

…夢を見ていたシーンでは「この男が誰か判った」という認識はあったのだが、目が覚めたら肝心の「誰か」が意識から消えてしまっていた。しばらく考えても思い出せなかったのだが、推測としては多分こいつ、「覚醒すること」そのものだったのかなと思う。この日は休み明けで目覚めたら仕事に行かなければならず、やだなーめんどくせェなーもっと寝たいなーと、そういう意識が覚醒から逃げ回っているってな夢を見たのではなかろうか、と。いや判らないですけどね。