シャングリラ/東のエデン

シャングリ・ラ・11話。歌を忘れたり歌いたかったりするかごの鳥たちの物語。メインの話はカリンさんと謎の幽霊の人なんだけど、それに天子様とかクニコさんとか、現状から脱したい/脱そうとしている人々のエピソードが纏わりついてるような構成。…ま、草薙さんは遭難中という状況から脱出したいのですけどね。


「あたし?」や「どうやって!」みたいに異なる舞台での台詞尻と頭を繋いでシーンを進めるとか、歌の状況とプロップ等のデザインを呼応させて語らせるとか、かなり技巧的なヤリクチの回。またその内容も「かごの鳥が外に出る」というベタさを狙ったもので、この双方が相俟っていつもとはちょいと雰囲気が異なってる印象でありますな。んで、脚本見たら出渕裕のおっさんであってああ…それはなんか、よう判らんが納得行った。なるほどね。


文芸系としての出渕さんには、個人的に「最高だぜ!」っちう印象は無かったんだけど、今回のこういう特色の出し方は上手いこと行ってたと思ったですな。黄昏時の鳥かご形ジャングルジムから見上げる鳥かご形の「お城」、このラストシーンはなかなかの情感。…あとワシ、あの謎イケメンさんはてっきりメデューサさんかと思ってたけど、なんか違ったみたい。いいけど。


東のエデン・10話。滝沢さんはセレソン3人の複合体と出会い、そしてこのゲームのさらに奥の方を知る。しかしそれでも、全てを知るには至らない。「上がり」に最も近いかと思われたこのお三方も、謎の「12番」によって裏をかかれるのであった。あとまあ、大量のちんこたちがウォーって。ウォーって。そういう話。


最大の政商だの日本のフィクサーだの言われた人の、死ぬ間際の大ふざけがこのゲーム。記憶喪失前の滝沢さんは、ニートたちをどうこうしようとして見事に裏切られた失意の人らしい。その一種甘っちょろい善意を持ちつづけている滝沢さんと、日本を一旦チャラにしようとしている3人セレソンの対比、が主題なのだろうな。しかし「日本を戦後からやり直す」とか「既に死んでいる(らしき)黒幕」とか、押井ライクなキーワードは意図的なのだろうか。あえてそういう素材をチョイスして、それらを越える展開見せますよ…っとか? それはそれで楽しみですけどね。


…ちうか、これちゃんと終わるのか? ものごっつ半端にぶつ切れて「続きは映画でね!」やないやろな。知らんけど。あと、玉川紗己子さんは予想通り人ならざるものでした。嬉しい…のか何なのか。