ゼーガペイン

ゼーガペイン10話。「進行する自己存在の欠損」という主題を思えば、OPやEDの「身体が無数の鳥などに拡散してゆく」というヴィジュアルもよく判りますね。…って、ED変更? いや、変更じゃなくてこの回のみの特別バージョンなのかな。とにかく皆さんの浴衣姿でビバ。


さて。主無き映像、存在しない先輩。それらは皆、現実世界にて戦死した事実の残滓である。その矛盾に気付き覚醒した者は、セレブラントとして闘わねばならない。カミナギさんは覚醒しつつある…。その手段が映像機器がらみ、ってのがこの子らしいっすな。


言語化しにくいモヤモヤを抱えつつ、カミナギさんは自主映画のシナリオを書く。現実と虚構、別れ行く二人。そして戦士の記憶ストレージは、彼女に届く事はない。「悲しい終わり方だな」とソゴルは言う。ならば悲しい終わり方をさせなければ良いのだ。消されるな、この想い…ってヤツ? いやー、こういう仕込みには弱いね。ベタで王道で面映くて。


最後の花火シーン。距離のあった二人の手がしばらくたって接近し、ふっと繋がれるその瞬間は、ベンチの陰で視聴者には見えない。やはり巧いな。普通なら「花火の光に照り返る二人繋いだ手」を見せたい所だ。でも、そう、この時見るべきは花火なんだよね。手を繋いでいるという事実は視覚的に表現すべきではない…見せないことによって、手を繋いでいるという「感触」を表現している。…ええ、判ってますわィ。ワシ穿ち過ぎ。


にしても、ロボアニメのくせにメカ戦ナシで面白いってのはどないかな。いやまあ、最近そんなん多いですけどね。あとメガネ生徒会長の浴衣のガラが禍々しすぎた。わはは、ひでえ。


あと一件。作画が超すごいとは言えないこの作品だけど、描画する意図そのものは丁寧なのよね、ってことも越えて、夕日の土手で青春話する娘さん二人のシーンはとても良かった。いい情感の絵でしたねえ。