無題

●世の中にはとても発音しにくい音というものがある。たとえば日本人にとってのLとR、またフランス人にとってのHなど、そのコミュニティに長く続いた文化歴史的理由によるものもそうだろう。しかしそういった「瑣末な」事情によらず、どの人間にとっても発音の困難な…それどころか一生のうち一回発音できれば御の字というような、そういう子音がある。


ギリシャ正教会系異端の一つにユスリ(ウスリ・ウーズリー)という派閥がある。800年〜950年頃ヴォイヴォディナ(当時はハンガリー王国の一部)近辺にあったごく小さな一派である。教義自体は単一神論的な異端性が見られる程度の比較的穏健なものだが、特異なのはその派閥内だけに通じる独立した言語体系を持っていたことである。「言葉こそ神に近づく最短の道」という信念とともに、ユスリ派はその短い生涯の中で、自分たちだけにしか通じぬ言語体系を連綿とこねくり回してきたのだ。


この「ユスリ語」は、元は土着のハンガリー方言とそれほど変わらぬ代替言語だったのだが、ユスリ派の歴史の後期にもなると、後付け文法と不規則変化と宗教的白昼夢の違法建築のような無茶な代物となってゆく。この頃には日常会話どころか、ユスリ語のある一つの文章を正しく発音・表記できるような者が本当にいたかどうかも怪しいものである。言語の神聖さを追求するあまり、既に言語を複雑怪奇化させることそのものが目的と化していたと言っても良い。


その奇妙な言語体系内にあっても異彩を放つ一つの子音が「ギマヌ」である。左側に巻いた渦巻きのような文字で表記されるそれは当然ながら本来の名前ではなく、その意味は「87」。ユスリ語アルファベットの87番目にあることからの通称である(実際はぴったり87番目とも言えないのだが、その事情は今の話題とあまり関係ないのでここでは措く)。


それではギマヌとはどのような子音だったのか。それは歯摩擦音、英語での「th」に似ていなくもない…軽く開けた上下の前歯の間に舌先を当て、その間から息を出す、という所までは。ギマヌにはその後がある。「息を吐き出しつつ上下の歯によって舌先を噛み千切る」のが正式な発音なのだ。噛み切った舌先はそのまま飲み下すのがもっとも正しい発音法だが、それは省略しても構わない、らしい。


無論こんなものが実際に使われていた訳もなく、元々はユスリ派の宗教的例え話に出てくる言い回しのようなものだった。そして「結婚してください」だの「私の父親は聖人となりました」だの「ボフドフ犬に二度もまたぎ越されました」だの、(ユスリ派の日常において)めったに使わないであろう言葉の言い換えとして儀礼的に設定されていたに過ぎない。しかしある時敬虔だが少々常軌を逸し気味な教区司祭が説教中、あまりに熱が乗りすぎたか「実際に発音」してしまう。その言葉は「私はここで殉教する」だったというが、伝説ではその教区司祭はその後二時間以上にわたって説教をし続けたということになっている。真偽のほどは定かではないが。


ともかくこれで実際に発音された言葉だという実例を持ってしまったことで、ファナティックな信徒がその意思を表明するためにギマヌを発音する、という現象が連発される事態となった。今でもこの地方には「彼(彼女)がその時に持っていた血塗れのユスリ派聖書」なるものがあっちこっちに保存されている(殆どは豚の血や赤い顔料を使って作られた偽物だが)。


ユスリ派は西暦1000年という大きな節目の年を見ることなく歴史からその姿を消している。それは彼らがギマヌ入りの危険な文章を発音しすぎて自滅していったからなのか、それともまた別の子音「ウスォバチ」(英語のVに似た子音で、下唇を噛み千切って発音する。名前の意味は61)がその原因なのか。謎とともに過ぎ去ってしまった歴史は黙して語らない。ひょっとして歴史さんがしゃべる言語には発音しにくい子音でも入ってんじゃないだろうか。


●…という夢を二週間前に見ました、という話。全部うそ。すんませんねえ。実際には「ユスリ派っちうとこにはギマヌという通称の舌を噛み千切る発音がある」とそれだけの夢だったんですけどね。昔似たようなギャグをおおえの人が言ってたのをそのまま夢に見たっぽい感じ。あと、ユスリ派ってのはアレか? カタリ派のもじりか? ユスリカタリ…ってそれはタカリだ。