蜘蛛の子ミサイル

※注意。上記節足動物が苦手な方はお読みにならないように。


●廊下の隅にアシダカ様がいらっしゃる。こないだシャワーの際にアシダカグモを踏んで往生したのだが、いや、ワタシは別に蜘蛛自体はそれほど嫌いでもないよ。踏んじゃったからアレだっただけで。それに彼らはゴキブリを喰ってくれる益虫らしいしね。いや、ワタシは別にゴキブリもそれほど苦手ではないですよ?(どないやねん)どっちかっつーとゴキ様のほうが鬱陶しいですが。


でも、一回だけ本気で参ったことはある。それはこの集合住宅に越してきたばかりの頃だったから、そう、今から十年も前のことになるだろうか…。


●ワタシはその夜、部屋でTV見ながらごろごろしていた。気が付くと目の前にごく小さな子蜘蛛さんが歩いている。別にどうってことないので放っといたが、ふと見るとその少し脇にも子蜘蛛が居る。おや、と思って部屋を見渡すと、ぽつりぽつりと子蜘蛛が散在している。ふむふむそういう季節なのかな、いやちょっと待て。蜘蛛の濃度勾配がある一点に収斂していないか? そう、入り口のドア付近に近づくにしたがって蜘蛛密度が高くなっているような…?


ドア付近に来てみるとぱらぱらと子蜘蛛が居た。さて、である。ドアの向こうには何があるのか。当然ながら楽しげな予感はしていないのであるが、いつまでもここに立っているわけにもいかない。ワタシはドアノブに手をかけ、一気にドアを開いた。


廊下の様子がおかしい。ワタシの立っているドア付近から2mほど離れた辺りの壁が何やら蠢いている。見れば、天井と壁の境目辺りに親蜘蛛が陣取り、その周囲には無慮数百匹の子蜘蛛がぞわぞわと蝟集していた。それで壁や天井が蠢いているように見えたのだった。


繰り返すがワタシは蜘蛛にそれほど悪感情は無い。それでもこれには肝を冷やしたですよ。ワット数の低い蛍光灯に照らし出された無限の蜘蛛の群れ。何の恐怖映画か。無音なのが却って怖い。ああ、どないしょ。なんとか駆除しなきゃ。


当時ワタシの向かいには女性の学生さんが住んでいた。ノックしてもしもし。「はい?」「あ、今晩は。すんませんが殺虫剤か何かありませんかね?」「あー、ごめんなさい。持ってないんですよ」「そうですか…」「どうしたんですか?」「いやね、ほらあれ」彼女からは死角になっていた天井付近を指差す。「え? 何? …ぎゃあ」ばたん。扉の向こうでわあわあ言う声が聞こえる。悪いことしたなあ。


しょうがないので部屋に戻って家捜しすると、ダンボール箱の奥からキンチョールが出てきた。ちょっと頼りないが無いよりマシか。廊下に出て殺虫剤を構え、斉射する。…ちょっと考えれば、そうするとどうなるかくらい予測できただろうになあ。ウロが来てる時には先のことが考えられないんですよなあ。


ご想像の通り。致死的化学物質に驚いた彼ら数百匹は、尻から糸をくりだしつつ一斉にワタシの頭上に降ってきたのでありました。わあ。わあ。まろび逃げるワタシ。背後で「ぎゃあ」という声がする。どうやらドアの隙間から向かいのお嬢さんが見ていたらしい。悪いことしたなあ。


●…その後、どうやって駆除したのかあるいは放置したのか、実はよく覚えていない。記憶が欠落しているのである。あまりにおぞましき事象なので抑圧されたのか。それとも彼らはただの蜘蛛ではなく、何か人知を超越した太古よりの存在であってワタシの記憶を操作したのか。無明の闇に閉ざされた我が記憶は何も答えてくれない。ただ蜘蛛の神のみぞ知る。なんだそれ。アトラク何たらとかレンの何やらとかか?