WALL・E/ウォーリー

●録画してあった「ウォーリー」を観了。ピクサーのCGアニメ映画。人も居なくなった地球上でただ一体、何百年もゴミ処理をしてきたいさましいちびのロボが宇宙に行く話、である。

これ構造としては「田舎ものだが純真な主人公が都会のシャレた相方の心を溶かしてゆく」っちう、古き佳きラブロマンスがベースやよね。地球がどうの文明がどうのという大域構造もあるけれど、見てる側が最も入りやすい入り口ってのはそこだろう。つか、便宜上はウォーリーが主人公だろうけど、実質上はこれ「お姫様」だよねウォーリーさん。んでイヴさんの方は「一見融通が利かないが根は優しくてとっても強いナイト」だ。クライマックスにてキスされて復活するのがウォーリーの方だってのが判りやすい。スリーピングビューティですよ。ビューティ? まいいや。

そうでなくてもこのウォーリーさん、イノセントすぎて結構「イタい」レヴェルにまで行っちゃってて、そこら辺もこっ恥ずかし微笑ましいところである。とにかくコイツ、憧れのイヴさんと手ェ握りたい、あのミュージカルのように踊りたいっちうのがいついかなるときでも先に立つようなお人。そらもう敵から身を潜めてるそんなときにも。分別あって堅物っぽいイヴさんから見れば「全くこの宿六め空気読みなさいよかわいいなあもう」っちう感じですわな。

そして件のイヴさんであるが…いやあ、事前にデザインは見て知ってたんだけど、ここまでかわいいとは思わなかった。だってあのカッコ、パッと見ィ単なるリトルグレイ顔の卵やんかいさ。実際にこうして映画見るまで女性だってことさえ判らんかったよワシ。それがどうだ、いざピクサーの第一線CGアニメータにアニメートされたらこれがかわいい。味気ない光電管の目がかわいい。愛想のないつるんつるんの手がかわいい。音速超えて衝撃波出しつつ飛んでっちゃうのもかわいい。物語が進むにつれて、どんどんウォーリーに惚れてってんのがよう判る。どちらかというとウォーリーさんが受身であまり態度に変化がないだけに、役者の心情的「演技」はこのイヴさんの方に比重が置かれてる印象ですな。

一方の人間ですが。これは物語の構成上必要な選択なんだけど、ロボットたちの豊かな個性に比べると描写がおとなしい。自動化されて自分では一切動かないもんだからみんなころころ太ってるのはともかく、性格までまあるくなってて悪人なんか居そうにないあの宇宙船内描写は、見る人によっては最悪のディストピアだろうなあ。ワイルドで革命的なSFならば真っ先に打倒されるべき世界ですよ。ワシのような怠け者にとっては天国なんですがね。まあ。

とは言え、実際に暮らすことは置いといて、舞台設定としてはやっぱしあの地球の方が魅力的である。スクラップ化された廃棄物がうず高く積みそびえ、常に黄昏のようなセピア色の光に満たされた文明後の世界。ワシがそういう「巨大で明るい廃墟」に大きなフェチ心持ってるからってのもあるんだけど、序盤の「ウォーリーの一日」シーンの末世的な魅力ったらもう、甘やかでノスタルジックでたまらん。正直、あのまんま文明再興せずにあの廃棄物の谷間で暮らてェよワシ。ダメですか。でしょうね。

てことでいやあ、面白かった。こういうお話の構築力には遺漏がないね、ピクサーさんってばさ。あと何だ、ウォーリーさんのこのデザインの…キャタピラ駆動で双眼鏡顔っちうのはアレだ、ショート・サーキットの主人公ロボを思い出した。こういうテンプレってあんでしょうかね、アチラには。確かショート・サーキットの方はシド・ミードのデザインだったっけか。どうだっけか。