ディアスポラ

グレッグ・イーガンディアスポラ」読了。人々が人格全てをサーバ上に「移入」し、電子的存在となった時代・社会を舞台にしたお話。人々はタイトルそのままにやがて地球をあとに宇宙へ、さらに「その先」へと拡散してゆくのだが…というね。


解説の言うとおり、語り起こし部分のトッツキの悪さを越えてしまえばあとは割と楽、っちうかイーガンの著作の中ではかなり判りやすくてストレートな部類の作品。それはこれが中短編の連作という型式だからってのもあるでしょうな。しかしその「連作」具合は流石に大したもので、読み進めるに従ってコッチが思う以上のペースでどんどこ規模が巨大になってゆく。風呂敷の広げ具合・突っ走り具合がすげえ。猛スピードのジェットコースターにぶん回されているようだ。


そしてイーガンらしさのキモ、異様に緻密なリクツとリロン。例えばこの作品では「次元」ってのが大きなSF的テーマになってて、まあSFの長い歴史において別次元世界なんてのはいくらでも出てきたでしょうけど、「三次元存在の人類には五次元世界がどう見えるか」ってのをここまでマトモにやろうと思った人はあんまし居ねェよな。これが高次から低次への視点ならアボットの「フラットランド」等があるけれど、逆はねえ…。登場人物はデータ存在だから視覚や思考の補助ルーチンをどんどん盛り込めるっちう設定とはいえ、それを小説として微に入り細に穿って書き倒すってのはもう、イーガンのおっさん以外ではちょっと手に余るシロモノでしょうよ。この辺の描写は確実に酔う。認識酔い。


その「イーガンらしさ」はキャラの造形にも現れてて、どんなに感情を顕にしてもそこには一定の節度と節制が感じられるんですよな。例えばこの電子情報ベースの世界は非常に自由度が高く、行動や思考の拡張描写も実にリアルに描かれているんだけど、何が無いってしょーもない悪意やら犯罪行為やらが一切描かれないのね。それは「人間こうなったら皆犯罪的行為に意味なんて見いだせないから」なのか「データ化の際にそういう因子が消去されてるから」なのか、あるいはぶっちゃけ「物語上必要でないから」なのかは判らんけど、全体としては、今ある人間社会の映し絵というよりはもっと狭い、知識人の会員制クラブのような印象を受ける。


ま、それがこの作品にとってマイナスであるとは到底言えないけれど、そうねえ…あの電脳世界におけるケチな詐欺師とか大時代的な陰謀家とかスーパーハカーとか、あるいはヒャッハー言いながら暴走するモヒカンとかもちょっと見てみたかったかもしれん。やっぱあんまし意味無いような気もしてきたけれど、まあそこら辺はSF的にイロイロと。うん。


個人的にワクワクした箇所はまず、元が独立した短編だったという「ワンの絨毯」っすな。一見でっかい味付け海苔みたいな、どうひっくり返しても目新しくもない絨毯形生物に秘められた真実。この素っ頓狂なアイデアと描写力にはホンマやられた。冷静に考えて「いや、そんなんありえるケ?」とか思ったりもするが、そんなんどうでもよくなるくらいの論理的アクロバットが素晴らしい。…あとデータ人間の描写として、考え事中に「む、何か引っかかるぞおかしいぞ」と感じたとき、脳内のその思考プロセス自体を外部シミュレーション化して精査し、おーこの部分の思考パターンか、なるほど俺はこんなアイデアが浮かびかけていたのか、じゃそれ。…っちうネタがなんかツボった。これがアリなら「あーここまで出てるのにィ」ってなモヤモヤは全て一発解消やな。


ラストのネタは究極存在・トランスミューターの軌跡を追う果てしない旅。故郷から10000光年というか宇宙の果てまで何マイルというか、いやもう既存の創作物でここまで故郷を離れる話はそうそうないんじゃなかろかという位の「概念的な遠方」、そこで見たトランスミューターの目的。…これが何かミョーに人間臭くて、それだけにミョーに心に残る。やってることの規模の壊滅的なデカさとその目的の「あ、それは判る」っぽさ、このギャップがよろしかった。


てことで、まあ…ちょっと他の人には書けない作品ではありますわなあ。おなか一杯です。読み終わってため息ついたよ。堪能。