ゴシック/フラクタル/放浪息子

●こないだ業者の人が来て「テレビの受信状態改善工事です」つって外でごそごそやってたんだけど、何か以前よりデシベル数が落ちたような気がするぞ。それかあらぬか放浪息子録画失敗してるし…。とりあえずアレコレして補完したが、続くようならなんとかせんならんな。ちくそうジェイコムめ。


GOSICK・5話・承前、アヴリルさんと謎の殺人の謎の巻後編。初っ端から怪しさ満開であったアヴリルさんは実はホンマに怪しくて、怪盗姉さんに入れ替わっていたのでした…というオチ。ひょっとして初登場時から入れ替わりっぱなしだったっけ? まいいや、そこらへんワシもエーカゲンにしか見てないので。とりあえず後半の格闘シーンは、当事者お互いの意図がよう判らんのでちょっと困りました。弥一さんもさっさと逃げるなり何なりで体勢を整えればよかったにね。


今回のマクガフィンペニー・ブラック。この種のネタとしてはあまりに有名すぎてちとアレながら、原作小説の段階ではまだ何とでも誤魔化せてたんだろうな。こっちはヴィジュアルとしてハッキリ出てくるアニメっちう媒体だからねえ、とは思うが絵葉書が提示された最初のカットから堂々と見えてるのは演出上どうかなと。伏線にも何にもなっちょらんような気がしたんですが。


とまあ毎度ながらのツッコミ箇所の多さはともかく、事件が起きた後に探偵が安楽椅子状態でそれを解す、という一連の様式美的骨子はちゃんとしてんのでまあ、よし。個々のギミックについてはいいやもう。「また一瞬で終わってしまったー」ちうたりぷうぷうふくれたりかりんと見て犬の糞や言うたり、ヴィクトリカさんは如例にかいらしかったですしね。あとニセアヴリルさんが「ヴィクトリカなんて初めから居なかった」とか言うてたけど、ホンマにそういう押井的な脚本だったらすげえ面白かったかも、と一瞬思ってしまった。けどやっぱダメっすね。


フラクタル・4話。ナノマシンアップデート儀式の襲撃と、さらに続くゴタゴタのお話。サーバの運営側が僧院、ハネッカエリの義憤持ち不正規ユーザがロストミレニアムってとこでしょうかね。今のところどっちサイドもあまり正当性があるように描かれておらず、その胡散臭さをクレインさんの立場で天秤にかけているようだ。が、さて。


うーん…そうねえ、ちょっと苦しいとこが散見されるなあ。各々の小エピソードが言いたいことは判るんだが、いちいちどこかがチグハグであるような印象がねえ。銃撃戦でバカバカ死人出しつつみんな妙に冷淡だったり、かと思えば母船戻って急に悲しみだしたり。これも「戦場では任務に徹する」とか「高揚して感情どころではなかった」などの判りやすい演出もできただろうに、あんましそれが感じられない。


クレインさんが一旦ロスミレさんたちと離反する、それ自体は良いとして、そのキッカケのシーンが「仲間が死んで悲しんでいる井口さんを見て「やっぱりこいつら人殺しだ」と思う」という、なんだか接続がねじれたような流れなのもどうも違和感がある。あるいはそれらの違和感たちにもちゃんとした理由があるのかもしれないが…ま、様子見てみよう。


それにしても、ネッサさんもフリュネさんもやたらと「好き/嫌い」にこだわりますのんな。感情や感覚など、精神の根っこんとこへの指向が強いってことは…多分、そういう諸々を元からは持っていない存在、データの集積体とか何とかなのかしらねえ。ネッサさんはともかく、フリュネさんもね。


放浪息子・4話。男の子女の子逆転劇の脚本は少しずつ進み、それに並走するようにみんなの関係性も進んでゆく。心中と身体にギャップを抱えた修一さんとよしのさん、何かにつけて素直になれないさおりさん。倒錯劇とその活動は、どうやら彼らのハブとして働いているみたいだ。…あと、のんびりしてるようでなんか達観したようなまこっちゃんね。ささちゃんとはまた別種の緩衝材ですな。


サブタイにもなっている「お互いの名前をあげる」というシーン。まさにこのエピソードのヘソとなるようなイヴェントでして、よしの/さおりと二度繰り返されるその行為のなんと表層的で、なんと本質的なことか。「ちょっと告白っぽいつもり」で意を決して喋った修一さんと、それを受け取ったよしのさんにギャップがあるっちうレイヤの差は、そのままこの行為の二重性とパラレルだ。…あるいはそんなギャップ、二重性がこの作品の通底命題なのかもしれん。ま、あまり深くは考えませんがね。めんどっちいので。


相変わらず舞台を構築するための諸々の演出が繊細やなあ。静かなシーンが多いだけに、控えめながら多種多様な環境音がまずエエです。修一さんが部屋で脚本書いてるシーンの、かすかな蛍光灯の唸りとかね。これだけで静謐な夜って雰囲気がもわもわと沸いてくる。…あと今回、冒頭とCM開け両方の初っ端シーンが航空写真のような大俯瞰なのがなんか面白かった。何というか、まるで登場人物のこれからの…芝居的な意味での「舞台」を見せているような。