ペルソナ/ピングドラム

●新番組・ペルソナ4。ゲームの存在は知ってるがやったことはない。三年前にやってたペルソナアニメは視聴してて、スゲエ好きだったというワケではないがちゃんと楽しかったような記憶はある。細かい記憶は経年劣化によって失いましたけれども。


さて今回の作品は…ってところ、アバンで田の中勇が出てきたのにいきなりビビる。そうそう前のペルソナアニメにも出てきてたねえってそんなこっちゃない! たしか貴方はもうお亡くなりのはず! 窮極によく似たモノマネさんなのか、あるいは妖怪的なパワーによって黄泉返ったか! …慌てて検索したらどうやら原作ゲームでの音声アーカイブを使ったらしい。はあー、そうでしたか。それにしても作品内の一要素として全く浮いたところの無い馴染みっぷりで、改めて昨今のデジタルデータの恩恵を思う。ちょいとおセンチな言い方すりゃ、少なくともこの作品においては田の中の爺さんも再度の生を得たってこったよなあ…とかね。ま、それはともかく。


構造としては実にオーソドックスな、(今のところは)何でもない少年が異世界の境界を越えてしまうお話。フシギなテレビを見てたらうっかりその向こう側に落っこちてしまいました…という辺り、展開も演出もいっそ古くさいくらいの語り口である。原作準拠であろう、金子的硬質さをふんだんに見せるキャラデザインと妙にカッチリとした世界風景は、「これからマジなことが起こりますぞ」という雰囲気がぞわぞわと感じられる。随所に見られる意識的な「デザイン」は、原作ゲームからの意匠だろうか。なかなか目新しくて面白い。


てことで、こういうノリを陳腐と見るか王道と見るか…は、まあこれからのことでしょうな。個人的に視聴に負担の少ない感じの作品のようなので、これは少し継続してみよう。とりあえず、元気で活動的な緑と制的で落ち着いた赤のダブルヒロインっぽいお二人さんが面白そうなので、期待。


輪るピングドラム・13話。ひまりさんの死と復活、運命についてのあれやこれや。冒頭ショウマさんは「運命という言葉は嫌いだ」と述べ、シメにリンゴさんが「運命という言葉は好き」と述べる。不幸な過去に苦しむ者は運命を否定し、幸せの未来に思いをはせる者は運命を肯定する。一見ショウマさんとリンゴさんの立場は正反対のようだが、これは過去と未来という別の立場からの言葉であり、実はその範囲はカブってはいない。…もし仮にお互いの世界を統合したとすれば、彼らはどう感じるだろう。案外違和感ないのではなかろかしら。


上記の「運命」という言葉は、同時に「意味」という言葉としても言い換えられている。ある人間の人生、経験するであろう/経験してきたこと全てには意味はあるのか否か。答えは「意味はあり、意味はない」。当然のことだ。人間が世界を認識するために、その人の入力情報全てに付けられる重みそのものが「意味」だからだ。その人にとって(軽重の差こそあれ)認識する全てのものに意味はあり、もしそれが無いならば単純にその人が認識していないというだけのことである。言い換えれば「ある人間の視点」が存在しなければ世界に意味なんてない。意味のあるなしは、同じものを表から見るか裏から見るかの差異に過ぎない。


多分運命という概念の肯定/否定も、同じ事象について同じことを述べている、その裏表なのだろう。ショウマさんとリンゴさんは同じことを言っている。…もしも彼らと全く意見の異なる人が居るとするならば、そもそも運命の意味について問おうとも思わないのではなかろうか。


今回医者として出てきたサネトシ司書さんは、妹を救うと言うカンバさんに対して「燃える蠍の心臓」を引き合いに出して挑発する。ことここに及んでやっと気付いたけど、ははあ…これって銀河鉄道の夜なのかあ。そういや1話でガキ二人がそんな話してたっけ。青いショウマさんがジョバンニ、赤いカンバさんがカムパネルラ、とするならば…カンバさんが人を救うために自分の存在を削ってゆく、ってのも頷ける。無論銀鉄はモチーフの一つだろうし、そのまんまカンバさんが存在を消してしまうだけとは限らないけれども。


カムパネルラとザネリの関係を、賢治の頻出モチーフである兄と妹にスライドした、ってとこですかね。…まさかサネトシさんがザネリじゃあるまいね!?