デジアナ

●写真のことについては知識が頼んないので、まずは絵に関してのデジアナ話。今ワタシが何か絵を描こうかな、となるともうパソの助力無しではキツイ。画材も絵の具も無いこたないが、しばらく手もつけてない状態である。今では絵画的表現の多くはPC上で再現可能だし、実際ほとんどの作業をPC上で行う画家さんも多い。


でも、やはりワタシは物理的なイラスト製作からは離れられないし、世の中の絵画表現が軒並みデジタル化するのは(あるとしても)まだまだ先だろう。なんでかって、そら替えが利かんからだ。何。上に「PC上で再現可能」ってあると? その通り。だがそれは「表現の多く」であって全てではない。そして絵画的な風合い等の感覚的要素は残った「少し」の部分に拠るところが大であるからだ。


筆に絵の具を付けて塗りつける。この間に横たわる要素には、理論上は数値化可能にしてもとんでもなくめんどっちいパラメータの山がある。それはほとんどノイズに近いバラツキなんだけど、しかし何がしかの法則性やカオス的傾向がある。筆のタッチとか絵の具の混ざり具合とか、ですな。表現者はそれを利用して絵に表情を付け、鑑賞者はそれを見てニュアンスを嗅ぎ取る。


コンピュータによって再現されるそのバラツキは、あまりに管理されすぎていて現実のそれとは風合いが異なる。間に噛んでいるパラメータが少なすぎるのも原因かもしれない。つまり、デジタルとアナログはまだ「別のもの」であり、一方が他方の包含関係ではないということだ。鉛筆画の情報量が少ないからってカラーイラストに駆逐され尽くしたってこともないでしょう? それは両者が別物であるから。


上記の意見はしかし、「今んとこ」という但し書きが付くだろう。将来デジタル絵画のエミュレート度合いが物理的絵画のプロセスを全て包含してしまうようになれば…そう、その凹凸や経時劣化までも、だ…どうなるかは判らない。ただ、それはまだまだ先のことであるように思われる。


…写真技術における表現形式は、デジタルがアナログを全て包含してんでしょうか。あーつまり、アナログ的化学的な写真が表現しがちな風合いとか、製作過程によってどうしてもそうなっちゃうニュアンスとか、それらの膨大なパラメータをデジタルが全て再現できてるのならば、アナログ的な写真に存在意義は希薄です。しかし、それがノイズだろうが情報的限界だろうが、アナログ写真に特有のパラメータが存在するならば人はそこに「独自の表情」を認識するでしょう。それがあり、またそれが好ましいと感じる人がいる限り、デジタル写真技術が完全な寡占になる可能性は少ないのではなかろうか、と思います。