季語は「どうでもいい」

●割とどうでもいいことを書く。


●ある文章を読み、それが喚起させるものがとても重かったとする。例えばあんまり情けとか容赦とかをしてくんないゴッツい現実の話とか、だ。そしてその文章に何らかの感想を表明する場合──具体的にはブログやブックマークののコメントとかだ──途方に暮れることがある。気の利いた寸評や一言感想では、その文章の「重さ」に対して釣り合いが取れないように思えるのだ。


文章の「重さ」ってのも突き詰めれば情報の量である。正しく言葉を操れる人は、短い文言だろうが寸鉄人を刺すが如くの情報量を盛り込むことができる。逆に、この文章の如く単にダラダラと長いだけでは釣り合いとしての重みは無い。


それでもその文章としっかり対峙して、できるだけの重さで応えたく考える場合もある。ワタシはそれに足るだけの情報量を表出できるだけの技量が欲しいと思うが、今のワタシには無い。だから何も言えないで居るような事象もある。普段はわらわらと薄っすい文言を並べ散らしているだけに、そういう時は余計に残念に思う。


…まあ、しばらく経ったらすっかり忘れて適当な感想述べてたりすんですけどね。根がいい加減だとこういうとき便利だ。


●更にどうでもいいことを書くが、近所の小洒落たさんぱっちゃさんは店の前の黒板に血液型占いを書いて出してるんだけど、本日分の占いは「古い人に会う!」とあった。…うーん、点取り占い様の如く良いの悪いのというレベルを超越しておる占いだなあ。会ってどうなるのだろう。