昭和元禄落語心中

昭和元禄落語心中・6話。倒れた八雲を巡って右往左往のご一統、姐さんは救急車で八雲と一緒に病院へ。ならば助六は…ってェと、おぼつかない手で客席のほうを指す。落語を待ってる人が居る、ってワケだ。未だ憔悴覚めやらぬ状態から、出囃子鳴って顔を上げるとスッ、っと顔が変わる。そして大いに演ずるのが居残り佐平次のご一席…という話。

願望欲望や人の意思、そういった要素の塊である佐平次においてでさえ自分が消えて「落語」そのものとなる与太助六さん。樋口先生の言うとおり、ここまで来ると八雲・先代助六にも比較してまた別の峯と言ってもいいのかもしれない。…前も言うたかしれんけど、与太さんって何度かトートロジーみたいなこと言ってんだよね。大工は何故叫ぶのか? 叫びたいから。何のために落語をするのか? 落語のため。彼にとって、問題とか課題なんてのはそれ自体に答えが内包されているものなんだろう。そこに至る道を論理じゃなくて好き嫌いで見つけてしまう。…確かに、これはひとかどの天才である。同時にこれを弟子(あるいは樋口先生)に伝えるってのは難しいことではありそうだねえ。

さしあたり、八雲師匠は一命を取り留めている。いろいろ引きずるお人だし、このインシデントが彼の落語と人生にどう影を落とすことか。そうねえ、どうしてもジメッとしたものにはなるだろうねえ。そこら辺は与太と姐さんがちゃんとケツもってあげて欲しいところだが…どうなることやら。

ベイマックス

●録画してたベイマックスを見る。ピクサーの例に漏れずすげえ緻密に構成された話ではあるけれど、いくつかちょいとユルい構成になってんのは意図的なのか、あるいはテレビ放送でカットでもされたのか。にしてもあの大企業社長の人、ヴィランと勘違いさせるためにそういうキャラ造形になってんだろうけど、イヤなキャラで出てきて教授の娘の失踪原因になって…といかにもしっぺ返しでもされそうな雰囲気してるくせに結局そのまんま、というのがなんか面白かった。あまつさえあの手癖の悪い盗癖のおかげでヒロさんの話が転がり出してんだもんね。かといって憎めないおっさんって程でもないし…ただの勝ち組やよね、この人。ああ社屋は壊滅しましたっけ。

面白かったので地上波でカットされたエンディングを検索して見たり、イースターエッグ情報をあさったりする。最近は上映する国によってある程度アダプテーションされることも多いピクサーアニメだし、そこここに出てくる日本趣味はそういう処置なのかなと思ったらかなりの程度でアメリカ本国版もそうなってんのね。まあ日本向けに何かを差し替えるとして、づぼらやのフグを入れることがベターでベストとはちょっと思いにくいですしね。アレは造形の面白さだろうなあ。あとあの町は架空のものだけど、「サンフランシスコらしさ」ってのは映画なんかで知ってる程度なのでそこそこ程度にしか判らんとして、それ以外の日本っぽさ部分の日本っぽさ度合いがものすごくシックリと画面に定着してて興味深い。日本語の看板が出てるとかその程度じゃなく、高架や道路や建造物の組み合わさり方や風合いが「あー、これ日本の一都市部やわ」って感じがびんびんすんのよね。よっぽどキッチリリサーチしたんやろなあ。

あと途中で例によってスタン・リーが出てきて「ノルマこなしよんなあ」と思ったらラストに意外なほどガッツリ出てきた。もうこのおっさんはほぼ無敵やね。ふきかえた大木民夫よりさらに年上なんだけど、感じさせないなあ。