もつ鍋と虚実皮膜

●鍋を喰う。自分のメシルーチンの中で定番になった創味シャンタンベースのニラキャベツモツ鍋。安チューハイで猫舌の口中を冷やしながらはふはふと喰う。宴もタケナワんとこで洗濯機の終了アラームが鳴り、しぶしぶ鍋中断して洗濯物を干す作業に向かう。狭いベランダに出る扉、そのガラス窓は鍋からの水蒸気で盛大に結露している。そして扉開けて外に出れば屋内の水蒸気や温度とは真逆のカサついた冬の暮。寒さにおたおたしつつ洗濯物吊るし作業をやっつけ、ああこの扉こそがウチとソト、温暖と厳寒、安寧と殺伐の間にある虚実皮膜そのものなんだなと思う。ただし留意すべきはこの扉のどっち側が虚で実なのかということだ。鍋とコタツとチューハイで快適なあの部屋の中こそが虚構なのではないか。「現実の世界は、どうしてこんなにつらくきびしいのだろう…」。

とか思いつつ部屋に戻り、鍋の中身ほぼ浚い終わったとこでゴマ油入れるの忘れてたのに気が付いた。あかんやん。ゴマ油で下世話に下品にうま味出さんとダメやん。気づかずに大方食べ終わった自分の舌の包容力の高さが憎らしい。ああ憎らしい。そういやロシア語でニクラシーワヤっつーと不細工の意味だっけ。まいいや。残りの鍋汁で押し麦雑炊を設えよう。…この鍋に向き合っている間は、少なくとも多幸的な虚構に居られるような気がする。できるだけゆっくりと喰おう。外は寒い。