すべてがFになる

すべてがFになる・最終話。エピローグとしての情景。真賀田博士は最後に犀川先生のもとを尋ね、そこでいろいろめんどくさそうなお話をする。愛されることと殺されること…エロスとタナトスの同値性とか、意味があることとないことの意味とか。そういう堂々巡りのような衒学的なような会話自体がこの作品の「幹」なのではあろう。実際、最終回でも一種の見所(聞き所)となっていた。

明らかに解脱して悟ってるみたいな上記二人に対し、西之園さんはまだまだ煩悩多く悩みがちなお年頃である。ま、そういう未熟さってのは要するに発展の余地ってこったしね。そもそも既に凡人とは一線を画しているトコに居るのは間違いないワケで、ある意味贅沢な悩みではありますか。

●このまま総評に行きますけど、うーん…ちょっと評価しづらいアニメだなあ。突出してここがウリになるって箇所が意外に少なく、言うてみれば原作とキャラデザでお出しされた「予告的なコンテンツ」がそのまんま、という印象となっている。破調なところが無くてよく言えばまとまってる、悪く言うなら華がないってのはノイタミナアニメの私的典型の一つなんだよね。ワシにとってね。

実際見てる間は登場人物たちのくだくだしい会話は楽しかったし、またどこか異質な思考の方向性も興味深かったけれども…どうでしょうね。これはあんまり言うべきようなこっちゃないんだけど、「原作でもエエような」って感じがする。いや、原作読んだことないワシが言うのは不適切だな。

あとはそうねえ、言うても詮無いにも程があるけども、この題材なら少なくとももう5年は早く作られて見られるべきだったなと。字体を考えて原作に故障は全くないけど、なんでこのタイミングでアニメ化? とは思わんでもない。メインギミックにちょっと古臭い感じがしたのは否めないなあ。てことで、アニメのデキ自体にはあまりどうこうはないが、メタ的なレベルで個人的にちょいチグハグなものを感じた、そんな作品でした。雰囲気悪くないんだけどね。