すべてがFになる

すべてがFになる・10話。真賀田博士は全てを話さんと犀川・西之園両名を誘う。会談場所は感覚遮断タンク…もといネットワーク内の情報世界。そこで語られる(博士の)真実は、犀川先生はともかく西之園さんにとってはどうにも感情的に納得のいかないものでありました…っちうお話。視聴者側からすると「別にそこまで反発することもないなあ」と思わされるくらいに、西之園さんの個人史に深く呼応するようなこと、なんだろうねえ。

ほぼ全編が「カシコい人がカシコそうな話してるだけ」というシーケンスだけに、風景や演出でいろいろ目先を変える必要があり、そしてそれはある程度成功しているかなと思う。犀川先生の青い海と西之園さんの灰色の小部屋、ってな対比がメリハリになっているのだな。犀川先生が博士と別れるシーン、水底と水面とに別れてゆくってのが比喩としてベタでエエな。

一応のメイントリックである「16進法のF」とか「トロイの木馬」とかが結構陳腐になっちまってんのは原作からの時代を考えるとしょうがないだろうか。いや、年数経ってもちゃんと通用するタームであるというそっちの方に感心すべきだなこれは。パト1ですっげえ先取りしたコンピュータ事情を描いた押井のおっさんを思い出したりした。見てた当時はOSに仕込んだウィルスがキャッシュに潜むとか、何言ってるか判んねかったもんなあ。そういやスカイ・クロラで直接の関わりがありましたね。