フューリー

●てことで映画のフューリー見てきましたよFURY。映画館に行ったのって何年ぶりだろうねえ。いやあ、ティーガー怖いパンツァーファウスト怖いヤーボ怖い怖い。以下ネタバレありで感想ですが、無論ワシはティーガー(とシャーマン)目当てで見に行ったんだけど、まあティーガーとの戦闘はいくつかあるうちの一つでして、基本構造はブラピのウォーダディ(戦争オヤジ)ってなアダナのおっさんご一統が次から次へと戦いにぶち当たってゆく、ってな感じ。そしてその戦闘はどれもこれもクソのような救いも無いものであり、むきたてのゆで卵みたいなニュービーの新入兵隊さんはごりんごりんと精神を削られて/あるいはちゃんとした兵隊さんにさせられてゆくのである。多分これ一日くらいのごく短期間の話なんだけど、主人公の新兵ノーマンさんはこのどうしようもない経験を通して、最後には戦車乗りたちにアダナを貰う(=一人前として認められる)までに至るワケだ。しかしそのアダナで呼んでくれる人は、その数時間後にはすべて居なくなる。諸行無常、多分彼はそのアダナを墓まで独りで持ってくんだろう。戦争はそんな程度のものしか残らない。いや、そんだけ残れば御の字ではあるのだろうか。

シャーマン・フューリー号のボス・ウォーダディさんはブラピの存在感が素晴らしい。映画は一部を除き基本的に新兵ノーマンさんの視点で進んでゆくので、このウォーダディがいかにして「こういう人」になったのかは詳細に語られない。何故か戦前からドイツ語に堪能であったこと、子供を戦争に巻き込むことに強い嫌悪感と怒りを示していること、実は聖書等の教養もあることなど、劇中の描写でなんとなく想像できるかな、という程度である。スパッと語らないからこそのキャラの奥行きってなとこでしょうな。そういやこの人イングロリアス・バスターズでもナチキラーのおっさんやってたっけ。向こうじゃそういう顔の類型でもあるんだろうか。

その他のキャラも軒並みガッチリ立っておられる。ドライバーのメキシコヒゲおっさん、ガンナーの聖書引用おじさん(シャイア・ラブーフってインディやトランスフォーマーの印象だったからなかなか意外だった)もいいが、ローダーのクーンさんの「あ、この人はチンピラ的手法しか他者との交流手段持ってないな」って感じのあの顔つきよ! 無論メイクや演技の賜物ではあるんだろうけど、いやあ…特に中盤の占領した街での食事シーンとか、うへえこの人キッツいわあ、という押し出しがなんかもうスゲかった。あとは僚車の乗員の面々、疲れ果て擦り切れててでもゴツくてタフの塊みたいなああいう顔はホンマによろしい。アレはホント、アメリカ俳優の層の厚さだわなあ。

…最後になりましたがやっぱマジモンの戦車はかっちょいいですよ。シャーマンはウォーダディが「家」と称するように、小汚くて居心地の良い日常性(戦争なんですけどね)あふれるリアリティ満載なんですが、それと対比されるように出てくるティーガーのド外れた強さの非常識な存在感はどうですよ、ってなもんでね。こっちが何発ヒットさせようが平気の平左、しかし向こうのが当たったら一発で砲塔が吹っ飛び正面装甲に風穴が開くという理不尽なバランス。パンフロやわパンフロ。実際藪の向こうからティーガーの88が出てきた時の絶望感ったらなかった。ぞくぞくします。…てことで、戦車成分を充分に補給できたのでワシ満足です。「戦車砲が車体や塹壕の縁を掠めて軌道がそれ、空の向こうにぶっ飛んでゆく」というあの絵は新鮮だったな。あれ、映画的な絵作り上のアリネタなんですかね? あーあと、最終戦闘の「十字路上に居座る戦車を攻略する」ってのは立場を変えた「街道上の怪物」ネタなんかなとふと思った。