相互依存の社会関係

●たとえば出来合いの惣菜を買って喰ってる人を指して「自分で作ればちょっとの手間でこんなに簡単で安いのに」と言う人が居るとして。料理の楽しさ面白さを伝えるならまだしも、これを実践していない奴らは人生をムダにしているだの頭が悪いだのなどと言い出すとううむと思う。ではその人は自分で布買ってきて日常服飾の裁縫をやっているのか、電子機器のセッティングを問題なくできるのか、車やバイクの整備は基本的なことは一通りこなすのか、普段使いの食器くらいなら自分で作るのか、必要なときに和服をちゃんと着付けられるのか。日々の生活の「ちょっとの手間」がどれだけ集積しているか、それを考えるとワシはブルってしまう。

少々のリソースを使って自分でできることあっても、対価を支払ってそれを外部化して済ませるってのは誰しもやっちょることであり、程度の問題と好みの問題の複合物である。何千円か出して電器量販店にパソコンのセッティングをしてもらってるお年寄りを笑う勿れ、という話もあったけど、つまりはそういうことだろう。「自分ができることをできないヤツは総合的に自分以下の人間」と素朴に考えられるお人は、能力才能はあっても想像力に乏しい人だ。自分の知っている範囲が世界の全てでありスタンダードだと思える人だ。

中にはこれらの「ちょっとの手間」を全部こなすようなお人も、ひょっとしたら居るのかもしれない。無論そんな超人さんはワシら凡人の参考になんぞならんので、初っ端からお話の外やよね。どうぞ超人連合の内側だけでご歓談なさってていただきたいと思うです。ついてけまへんので、ワシには。

●…などとそんなことを思いつつ、パンクした自転車を押しながら自転車屋に向かうワシであった。いや昔はちゃんとテメエでパンクくらい直してたんですよ? マジでマジで。でもやっぱ、モチはモチ屋だしパンクは自転車屋だし。三千円くらいならもう、外部化させてください。是非。