有頂天家族

有頂天家族・6話。弁天様が赤玉先生に神隠しに遭うシーンよりスタート。何だかんだで先生も物の怪の伝統を守った行動をとるおっさんではあったのやな、と思いつつ弁天様の過去と現在の落差をも思ったりする。確かに昔日の面影は…まあ、無いかもね。そんな弁天様が文字通り辺りをケムに巻いて立ち去った後、布袋先生によって語られるは弁天の過去・喰うということ・そして矢三郎たちの父の話。おお、やっぱそこを語りますか、っちうね。

狸やら何やらを喰うことを「愛」だとのたまう布袋先生に、そらあんたら人間が誰かに喰われることが無いから言えることでっしゃろ、とワシらの考えをキッチリ代弁してくれる矢三郎さんである。先生はそれを受けて、まあそらその通り、しかし死ぬときは自分も誰かに…狸に喰われて死にたいものだ、とつぶやくのである。食べられてしまう自分は旨いだろうか、食べてくれる相手を喜ばせてあげられるだろうか。先生はあの日、父狸も同じことを気にしていたと言う。

…喰う者と喰われる者。もしもその関係性が愛だとして、食べてしまいたいほどの愛とはどんなものなのだろう。好きなりゃこそ好きな者を損壊せずには居られぬような、好かれたならば自己の全てを捧げて好いた者に捧げるような、そんな愛。それは確かに愛の究極の形ではあろうが、その境地に至る道には踏み越えるものがなかなかに多そうだ。弁天様が井戸に来て毎度泣いているのは、まだそんな愛を得るに至らないからだろうか、それとも得てしまったことが悲しいからだろうか。矢二郎兄貴が彼女を「子供」というからには、そのうち「大人」に至ることになるんだろうけれど…案外、前半で弁天様が煙に巻きたかった存在ってのは、自分自身だったのかもしれない。

とまあ、基本的には回想と会話だけのゾロッとしたお話だったけど、いろいろと興味深いネタが多くて楽しうございました。お父ん狸は食べられるときも威厳と押し出しのある、エエキャラでやしたね。あと海星ちゃんはかわいい。このまま正体が出てこないままでもかまわんけど、OPタイトルにシルエットで出てるあの子がそうなのかしら。