日常/シュタゲ/ゴシック/フラクタル/放浪息子

●この時間帯、次週スタートのノイタミナ入れると放送局が3つカブってしまう。いや今回もそうなんだけど…うーん、どうしようかなあ。マジで、どれか切らなきゃならんが…とりあえず次週見て決めるか。


●日常・2話。…んー、今までの京アニ作品に輪をかけて感想書きにくいアニメだなあ。ぽつぽつとしたテンポのギャグ、シュール風味もほのぼの風味もあり、そして全体としての流れには乏しい…とね。まァ向こうさんとしてもそない感想を求めたりはしてないとは思いますけれど。


1話ンときにも書いたけど、やっぱし豪勢な作画パワーがなんだか邪魔っけだなあ。こんな作風だし、どちらかと言えばさくさくとしたメリハリとテンポが必要だと思うんだが、丁寧な作画仕事によってどうも印象がダルになってるキライがある。微妙かつ正確なパース変化によって描かれるリボルバーの動き、っちうのが求められてる作品じゃないような気がすんだけどな。それこそフラッシュアニメ程度でも…とか。あるいはアザゼルさんみたいに15分でも良かったんじゃないか、とか。


それでも後半の廊下疾走シーンは、まああそこまでのテクニックとダイナミズムを盛り込んで画面作られちゃあ目を奪われぬワケにはいかない。すげえなーカッチョエエ動きやなー、要所々々で入る崩し方も気持ちいいなー。…でもやっぱ、そんなん求められてる作品じゃないような。まいいけど。うん。少なくともかなり楽しかったし。


本来のテイストとしては、甘食買いに行ったら55個入りしかなかった、ってエピソードが一番ソレっぽかったんじゃなかろか。素直にクスリと来た。あと予告は池田昌子。フフンこうなると身構えちまうな! 次は誰だ? 野村道子はもうそういうネタ使用済みだから…そうねえ、堀絢子辺り? 高坂真琴はどうだ? …でもこんな予想も外してくるんやろなあ。 


Steins;Gate・2話。まだまだ混沌とした状況は続いているものの、第1話ほどの違和感…つまり、何か物語が微妙に繋がっていない感覚は無くなってきたかな。それがこの世界において正しいことなのかどうかはまだ判らんが。ともかく第2話目の段階で追加のキャラがわらわらと登場、お嬢さん三人とお嬢さんみたいな男の子一人である。巫女服の男の娘・ブラウン管好きのお嬢さん・ボソボソ喋りのヘンな人・完璧にキャラ作ってるメイドカフェコスプレイヤー。…どいつもこいつも各々イタい要素を持ってるんですが、その中においてイタさでちっとも負けていない我らが主人公・オカリンは大概である。この人の過剰な自己愛、過剰な防衛意識は何なんだろう。ある世界線においてはマジでそういう人でした、とかそういうことか?


さて、未だ状況設定の前置き段階っちうとこやな。そこここにほころびや伏線は見えるものの、それがどう繋がってくるのかはまだ判らない。ただ、時間テーマのネタがごろごろ出てくるってことは多分「そういう方向」にお話が進むんだろうなってのは予測付きますけどね。これでぜェんぜん関係ない、例えば剣と魔法の世界に話が進んだらそらそれでスゴいけれども。てことで、むー、今んとこ評価はでけへんなあ。


タイターさんはこの時間軸においては新参という扱いのようだ。それはともかく、CERNも実名で出てくるのか…と思ったら「SERN」でした。はて、これは「別の世界だから微妙に名前が違う」のか、あるいは「マジ名前使ったらヤバいから変えた」のか。まあどっちでもいいか。


GOSICK・12話。事件のブリッジ、とりあえず何もない夏休みの日。いやまあ木に上って下りられなくなったり雷に遭ったりはするけれど、特に大きな事件は発生しない。一弥さんの家庭環境を窺わせるネタの一環として、次兄からのパズルに挑むという要素があるくらい。退屈していたヴィクトリカさんは満足したかね? ま、知的冒険は一瞬で終わってしまったが、そんかし木登り御難に遭って時間つぶれたからよろしやないですか。ケーキ…は先生に喰われちゃったけど、まあ。


そういう背景雑音はともかく、何もないとなればメインで描かれるのはヴィクトリカさんがいかにかわいったらしいかということであって、そういう点においては実に手を抜かないスタッフである。もうホンマ、売りたいトコが判りやすいわねえ。確かにいちいちスネてふくれるヴィクトリカさんはかわいいので、別に何も文句はないのだけれど。


…にしても一弥さん、いかにヴィクトリカさんを残してきたのが気がかりとは言え、列車に足かけた段階になって「アヴリルごめん、やっぱ俺旅行キャンセルね」はちょっとひどいと思うぞ。相手が誰とか関係なく、それは単なるイタい人であり迷惑な人だ。いろいろ考えて前日に伝えてもドラマとして成り立たないってのは判るけど、ねえ。帝国軍人がそんな優柔不断で人を振り回しちゃいかんよ、うん。


フラクタル・最終話。鍵たる少女たち、そして世界の真実。長い時を経て少女は融合し、世界は救われる…というお話。…うーん! ちょっとツラいかなあ。いやどうにも見せ方が平べったくてねえ。宮本キモい人さんの長広舌は「これを聞いてもそう思えるかね?」という前置きがあんまり機能してないよな。「うん、へえ、その愛ってのは何かえっちいことされたワケですか、そんで少女の器がいっぱいあったと、そりゃ大変だ。…で?」としか。


思わず宮本さん刺突しちゃったフリュネさんの「妾の手は血に塗れておる」というマクベス婦人的ネタもちと安易な描き方だし。いや、俯瞰して見るとエエネタなシーンも多かったと思うんですよ。ただその、それらの描写をちゃんと立たせるだけの物語的なバックボーンとディテイルが不足していたような気がかなり、する。言いたいことや意図は判るけど、ちょっとそれ舌っ足らず過ぎやしませんか、ていうような。


もうなし崩しに総評に入ってますが、そうねえ、やっぱ「枠だけあってオカズ不足」ってな感覚が一番先に立つなあワシ。その枠構造…宮崎フォロワーみたいなガジェットもファンタジィ入った拡張現実世界も、もちょっと丁寧に彫りこみ盛り上げしてたら見てる方にもシックリと来だしただろうけど、そこら辺のハードルが下がりきらないうちにお話根幹の語りに入りだしちゃったしなあ。


あと残念だったのは、折角の「フラクタル」という概念がなんか薄かったことか。わざわざタイトルに設定したんだから、例えば冒頭の小さな事件が似たような構造で…規模は大きくなりながら反復されて、それら全ての根っこはある一つの概念/初期条件から出たるものだったのだ! とか、そんなネタを妄想してたりしたんだけどさ。なんか小さい世界で終わっちゃったし。…そもそも、なんであのネットワークシステムをフラクタルと名づけたのでしょうや。ソレっぽいのはラストの軌道エレベータ頂上で見えた模様くらいか? 他にもあったかな。


さらに個人的な妄想だけど、フラクタル拡張現実システムが割とそのまんまだったのがSF的に残念だったり。てっきり「システム以外のリアルワールドだと思ってたとこもぜんぶデータでしたよ」ってな話とかだと思ってたからさ。上記フラクタル概念の話にも関わるが、あーなるへそそういう階層構造でフラクタル表現するワケね! ワケね! と勝手にワクワクしてたりしてね。まあこれは単なるイチャモン。


てことで、うーん。色々と残念なところが拭えない作品だったなあ、という印象。各個の要素やネタには興味深いものが多々あっただけに、このチグハグな雰囲気はいかにも惜しかった。難しいね、いろいろと。


放浪息子・最終話。その後の彼らの日常。にとりんは(まだ部分的に、のようだが)学校に復帰し、よしのさんとさおりんの間は少し近づきつつ新たな関係性の繋がりを構築している。「あの頃とは違うけれど」、三人はまた一緒に並んで立つことができる。そして土居さんは…まあ、トシ相応のぶきっちょさながら、案外にとりんに対し真正面を向いている一人なのかもしれない。にとりんは「嫌い」なまま、のようだけれど。それでもね。


相変わらずさおりさんはにとりんにワンピース着せようとしてたり(このシーン、静かに響く秒針の音とか部屋の中らしい薄暗さとかの「雰囲気の置き方」がすばらしくあざとくてよし)、皆さんいつもどおり…あるいは、以前の様相を取り戻してたりしているのだが、それでも人には変化が訪れるワケで。はじめはゆっくりと、だがいずれは急激に、にとりんは青年になってゆくだろう。普通の/かつ特別な存在として、彼は変化を自覚している。


倒錯劇上演直前、舞台脇のタマリにて声変わりを指摘されて「いいんだ。これで」と言い、そして舞台の光の中に歩み出してゆく…という物語の終わり方が最高に美しいなあ。ここまで「主題歌ヴォーカルかぶせ」の演出がハマった感覚はかなり久々かもしれない。


●総評。このお年頃の不安定さを、男の子と女の子の境界線のゆらぎとして描く物語。繊細にかつじっくりと、めんどくさい人々の心中と行動を積み上げてゆくという演出姿勢は、この主題に合致したベストのものだろう。当然これ、かなり慎重に物語構築しなきゃならぬのであり、油断するとあっちう間に退屈な、あるいはカユいアニメになっちゃうとこですよね。いやあ…あからさまなパワー描写こそ皆無であるが、相当に気合の入った作品だったと思うよ。うん。


聞けば原作マンガから割と大胆に要素をカットしているらしい。小学生編がまるまるナシってのはアニメで初見のワシでも判ったし、またそれによって序盤結構まごついたのも事実。アニメで描かれたタイムラインでも描かれていない要素はあったようで、それに不満を持っている原作ファンの感想を見かけたりもした。


実際、これが2クール作品ならそこら辺もケアされたでしょうなあ。しかしいろんな都合あって(だろう)、1クール作品としてリリースされることになり…ならばどういうアプローチでアニメ化するべきか。ってとこで、このスタッフは「描くべき事象を厳選し、それにとことん傾注する」という方法を採ったんだろうな。やろうと思えば原作の要素をもっと詰め込むこともできただろうけれど、しかしそれだと多分、アニメのあの「濃密な間」は消滅していただろう。…10+11話はちょっとそんな感じになりかけてたけど、なんとか雰囲気を保ってたようなイメージ。そのせいで「話の自然な流れ」がワリ喰っちゃってた感が無きにしも非ずですが。いや「少々の不整合はいいや」ってな方針を採れるという割り切り方がスゲエのかもしれんな。


てことで、えー…ワシの趣味カテゴリからは少々外れたとこにある作品だったけれど、そんなワシでも十二分に堪能できるだけのコシを持ったアニメだったと思います。上で2クール云々書いたけど、ホンマにそんだけの長さがあったら個人的にちょっとしんどかったかもしれん。ワシにとってはこの分量・質量の「切り取り方」がベターだったっぽいっすわ。満足しました。