キルン・ピープル

デイヴィッド・ブリン「キルン・ピープル」読了。「ゴーレム」と呼ばれる一日限りのコピーロボット使い放題なワケ判らん世の中において、一介の探偵が四苦八苦しつつ依頼をこなしてゆくうちに、まァ当然ながら異様にデカい陰謀やら犯罪やらに巻き込まれ、そして(ブリンSFであるのでこれまた当然ながら)お話の行く末はその程度では済まない、っちう所である。


いやーまあ、こういう王道がっぷりのエンタテイメントを描けるってのはホンマ、大概な体力と違いまっせ。ブリンのおっさん、作品を叩き付けるパワーが違うな。少々無茶な大振りもありゃエイヤの強引さもあるけれど、その辺を含めた作品の構成力が凡百の作家とは段違いであるわ。


プロットの肝はゴーレム技術。どんなんかなって、いやマジで上記の「コピーロボット」ってのがそのまんま判りやすい。コピーの叛乱やら不公平感やらはどうすんのよという問題は、一日というゴーレムの寿命が来るまでに本体と「記憶の統合」を行うことでかなりチャラになっている。ゴーレム窯(そう、ホンマに陶土から焼き上げるのだ)の起動後自分がコピー側であることに気づくとするやないですか。するとゴーレムのワシは「ちぇーハズレかよまァしゃあねえな、さっさと仕事終えて記憶統合するか」と考えるのね。つまりビンボ籤引いた方もそうでない方も、最終的には同じ一個体に帰する…っちうワケだ。


「そない上手いこと割り切れるもんかェ」と思いますか? その通り。作中でもこのゴーレム技術には多種多様な抗議反対糾弾勢力がひしめいている状況なのだが、でもそのあまりにも巨大な利点によってフツーの人は満足状態である。まァそらそうだわな。お陰で所謂サイバー系の技術は過去の遺物。タフで頑固で少々古風という、典型的私立探偵の主人公がノスタルジーとともに愛用しているのがこの電脳技術…という逆転ネタもアリ。いや、ゴーレム技術も第一人者レヴェルなんですけどね。


訳者酒井さんの解説において「ブリンがこんなハードボイルド探偵ジャンルを書くとは」とあるが、実際のところワシ「結構ブリンらしいな」とは思ったのですよな。ブリンの作風ってのは「一癖ある先鋭的な実験作品」の真逆、「手垢のついたジャンルにおいてその手垢をマックスレヴェルの娯楽にまで突き上げる」という…まあその、器用万能タイプの人だってな印象がある。アリネタっぽい要素を盛り込みつつ、しかし安っぽさや胡散臭さを感じさせないその大作感は大したものです(チープでキッチュな作品もそれはそれで好きですけどね、ワシ)。


だからこそ、「探偵小説」という確固たるイメージのある世界を扱うってのもありそうな話だな、と思ったワケでして。ま、ワシはそれほどこのジャンルに精通してないのでどの程度アレでナニなのかは心許ないんですが(ダメじゃん)。エエやん、ワシ充分におもろかったんやし。それで。


以下どうでもいい瑣末感想。■主人公モリスがあるマッドサイエンティストをして「スメルシュ=フォックスレイトナー症候群」だと評している。つまり誇大妄想傾向のある気質なんですが、あー…やっぱ誇大妄想といえばスメルシュですか。これは史実のってェよりは007のスメルシュかしらね。残りの「フォックスレイトナー」は…未来歴史におけるそのテの存在か? それともこれにも元ネタアリか? ■劇中の描写にて曰く、ゴーレム技術は日本においては実にすんなりと受け入れられたらしい。まァ確かに、ヒトガタのモノに対する親和度は欧米より高いかもしれんなあと思いつつ、 その一例として挙げられているのが「アンパンマン」でした。確かにそうだ、ヤツは毎朝焼き上げられては自我を持ち、ピンチとなれば新たに焼成された頭部によって再生を得る! …ブリンのおっさん、流石の日本スキー。■ネットで言い合い状態になってるシーンにて「常識的に考えて…」という文章が出てきた最初の商業作品…うーん、最初ではないか。原文ではどういう文章だったのかはちと判らんですけどね。