銀河ヒッチハイク・ガイド

ダグラス・アダムス銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズ三部作全五巻、読了。第1巻の「銀河〜」と3巻の「宇宙クリケット戦争」は既読だったんだけど、古本屋行ったら新訳本5巻まとめて売ってたので購入。しまらくはヒッチハイク漬けの通勤読書でありましたのさ、という。


旧訳版とは当然ながら固有名詞やら何やらが違うのだけれど、旧訳読んだのがはるかかなたの記憶だってこともあり、比較してどうこうっちうのはあんまないです。ただ、ガイド表紙に印刷されている「DON'T PANIC」の訳語が「パニクるな」になってんのは流石に気付きましたけどね。旧版では「あわてるな」であり、これは割と印象的だったし。ま、それも些細な問題。


じゃ些細じゃない問題とは何かっつーと、解説にあるとおり初めの三巻と後の二巻ではかなり毛色が異なっている、のだな。前者はほぼ純粋な英国的ヘリクツバカSFで、かなり身も蓋もないノリが楽しいのだけれど、後者はもっと…そうねえ、湿っぽいというかマジメというか、「小説としての体を成している」のである。それはそれでええやんか、ってことなのだけれど、さてその全体に漂う厭世的な無常感はいかがなものか。


確かに作品単体としての完成度は高い。特に最終巻の「ほとんど無害」は、結構なドライヴ感とガッチリした構成のおかげでかなり読ませる作品になっちょると思う。が、このシリーズを読まんとして読者が求めるであろう感覚からはやっぱ、離れちゃってるよね。解説の大森さんは「いやいやワシも若い頃はそう思うたが、トシとって読めばエエものですよ」とは仰るけれど、後二巻との折り合いに必要なものは年齢じゃなくて、多分「初読時からの時間」だ。ある程度日にちをおいて客観的になれば、まァアレはアレで…と思えるようになる、のだろう。


…ま、あのアンチクライマックスな終わり方も、初期のノリであればページめくると「いやあ大変だったよあんなことになるなんて」で普通に続きそうな感じもするしな、と思ってあとがき見たら実際のラジオドラマでも後日談を継ぎ足してハッピーエンディング化した、とあってちと笑ったりした。そうよなあ、それが銀ヒガ(今急に略称考えた)だよなあ、と。


●とりあえずオマケ。どんとぱにっくのさかさま文字。

日本語でも。ワタシにとって馴染みが深い方の「あわてるな」で。

一応「パニクるな」でも描いてはみたけど、イマイチ面白みに欠けたのでこっちをのっけとこう…ってまあ、あんま変わらんのではありますが。