カエアンの聖衣

バリントン・J・ベイリー「カエアンの聖衣」読了。そ、ワタシこれ未読でしてん。ベイリーは禅銃や時間衝突やロボットの魂は既読だったが、最右翼のこれが未踏だったのよねえ。古本屋で見つけてうひょうひょ言いましたよ。


んで、だ。…いやあ…これは楽しいわ。事前に「服こそ全ての世界」とか「ヤクザ坊主の未来人登場」とか、なんかもう混沌の極みのような断片情報を得ていたのだけれど、それらからの期待を全く裏切らねえ目くるめくバカイメージの嵐に酔う酔う。ああそうよなあ、ワイドスクリーンバロックってェのはこういう酩酊感が肝なのよなあ、と再認識したりした。


とにかく矢継ぎ早に登場する様々なバカアイデアの濃度もさりながら、一つ々々のディテイルの偏執性がすばらしいのよ。墜落したカエアン衣料貨物船に忍び込んだ「服飾家」ペデルさんを、ああここに有名な服が、おおこっちには音に聞きし服が、ややそこには伝説の宝服が…と階段駆け上るように描写していくシーンの興奮とえらいこっちゃ感はただごとではない。まァったく架空の、それもただの服の話なのにな。


登場人物はどいつもこいつも個性の塊だが、ワタシはアマラさんがなんか良くてねえ。非常に有能な社会学者であり無二の行動力と知識を持つ人だが、一方でとんでもなく頑固で短絡的で狭量。科学と名声のためなら他人なんて塵芥も同じという考えの下、どんどん状況を広げつつ致命的な判断ミスを連発もする困ったオバハン。…こういうキャラって「人間的欠点も魅力となる味方」か「複雑な性質を持つ敵」か、に落とし込みたい所だろうけど、この人はもうただただ「そういう人」なのよ。ヒーロー性やヴィラン性なんてな「俗っぽさ」を超えたところにある「ただの性格」ぶりがなんかすげえ。ホンマ、凝りッ凝りのディテイルありきの作品なのなあ。


こういうガジャガジャな作品って、案外トシ行ってからの方が楽しめるのじゃないかな、と思ったりした。若くて感受性豊かな頃にこういうの読んじゃうと、要素各々のイメージの豊饒さに飽和しちゃって全体を見渡せないような気分になりそうだ。…昔「禅銃」読んだときがそうだったっすよワシ。いや、アレはアレで圧倒感のある良い体験だったし、そんなジジイっけて鈍磨した受け取り方なんて下らねェぜとも言えるけどね。「ワイドスクリーンバロックを総体として楽しむ」ほどに感性がニブくなれば立派な大人って事だ! …多分違うな。


…そういやワイドスクリーンバロック的なアニメってあんまないよな。それ言っちゃうとそんな映画もそうそう無いし、あったら楽しいのになとは思うが、やはりこの「しょーもないとこにまで渾身の思いつきディテイルを詰め込んで突っ走る」という作風は映像的に向いてないかもね。読み返しや進行速度自在の文章なりゃこそのジャンルなのかも知れぬ。