邪魅の雫

京極夏彦邪魅の雫」読了。そろそろ魍魎がアニメ化されるそうですし、って単に古本屋にあったから買っただけですけどね。本編は何か知らんがちっとも繋がらない連鎖的殺人事件が起こる話。登場人物が述べる感想どおり今回の事件には、京極堂作品に良くある非現実感とか幻想性とかがどうも感じられない。ざらざらぎすぎすとした無味乾燥でやりきれない殺人、それがよう判らんテンポで連鎖する、のである。


そんな話なので初っ端はどうにも作品世界が狭い。んで話が展開していって広がるかというと、実はその、狭いまんまで終わってしまう。…この場合の世界はカタカナの方が正確だな。つまり今回のネタの一つは「セカイ系」について、なんですよな。ある個人の精神内部がそのまま外部大域構造と同化しまたは連動し、他の中規模構造を無いものと見做すような作品群、あるいはそういう思想。京極堂はそういう態度、そういう人たちをスパンと切り捨てる。…しかしこれはセカイ系を非難してるってワケでもなさそうなんだよな。


作中京極堂は「言霊を信じていない者こそ言霊を操れる」てなことを言う。信じるってのは身も心も無批判にドップリと漬かりこむ、ってことだ。そこに漬かりこまずに構造を知り特性を捉え、有用に使えばどんなバカ思想も益を成す。中間の「世間」を無視してテメエとセカイを直結させたこじらせ野郎どもを再構成してやるには、やはりこのセカイ系ツールは有用なのではありますな。つらつら思い返してみるに、京極堂さんは今まで結構このツールを使ってきたような気はするのですがね。多分「君は考え違いをしているな」とやり込められそうですが。


…という瑣末(でもないが)要素から離れて作品の構成を見ると、今回はとにかく錯綜しててよう判らん話ではあります。だってその「全体の掴めなさ」が主題でもあるのだからタリメーっちゃそうなんだけど、電車内読書という中途半端な環境とワシのダメ脳髄では話を御するに少々大変ではあった。「あー、早く拝み屋出てきて胡散臭ェマトメをやっつくンねェかなあ」とか思ったりして。


えーあと、キャラ小説の面から。例によって関口も榎木津も出てくるんだけど、今回両者とも微妙に手触りが違ったりする。今までの彼らから少し変容してるような気のせいが、ね。榎木津はまァ、今回やむにやまれぬ事情があるので少々しおらしい(そしてかわいい)ってなとこだろうが、関口先生は何やら妙に前に出てきますよ。そして危なっかしさが減ってますよ。それは…そんなの…僕らの関口先生じゃないやい! とは言いませんが。


んでその分の危なっかしさをほぼ一手に引き受けてるのが、大鷹篤志さんという人でしてね。今回重要な役を受け持つこの兄ちゃん、いやあ…この人がまた。記憶力も認識力も普通だが、とにかく一カケラの論理思考性をも持ち合わせておらず、受け答えは常に的外れ、空気←読めない、急に突拍子もないことをする、でも自分は普通だと思っている。ああ、こういうヤツ居るなあ…と思いつつ、ワシもそういう性向があるなあとたじろいだり。京極さんってホンマ、キャラ作りのエスカレート加減が上手いのなァ。


てことでまあ、個人的に好みだった魍魎とか鉄鼠とかのゴシック性が希薄だったのはちと残念だけど、楽しんで読みましたよ。もう登場人物が過去どの作品にどう出てきたっけ、とかは諦めました。その辺は流しまーす。魍魎アニメを楽しみに。くらんぷさんはどうかとは思うけどさ。