フォーリング・エンジェル

●ナンシー・A・コリンズ「フォーリング・エンジェル」読了。ヴァンプにしてヴァンパイアにしてヴァンパイアハンターであるソーニャ・ブルーの大冒険シリーズ三作目、これにて一応の幕である。続編があるそうですけどね。本作にていよいよラスボス:モーガン卿との直接対決! …なのではあるが。


物語はそのラストに向けて一直線に盛り上がる、てな雰囲気とは少々異なる。理由の一つにはモーガン卿の変容(なんと仇敵ソーニャ姐さんに恋してしまう)、またあるいはソーニャ姐さんの家族問題(ダンナと喧嘩別れして娘が家出しちゃう…んー、まァ間違っちゃいないな)、もあろうけれど。さらに大きな理由がありましてね。ソーニャ姐さん自身の変化、だ。


第一巻より登場し、その特殊な立ち位置と邪悪性でソーニャ姐さんの人生にでっかい楔を打ち込み続けてきた大物吸血鬼、パングロス博士。彼の「死」がこの巻の大きなキーポイントとなっちょるワケだ。スジ的な仕掛けというよりは、ソーニャ自身のヴァンパイア観…ひいては世界観に及ぼす影響力としてのキーですな。


好奇心によって猫は死ぬ。好奇心の欠如によって吸血鬼は死ぬ。既に死せる存在の吸血鬼、その「死」とは一体何なのか。あれほど驕慢で余裕に溢れていた不死者パングロスの、あまりといえばあまりにも人間的な死。死の瞬間彼はある「何か」を得、そしてその代償として一握の塵と化す。限りなく強大に見えていた不死者たちのそういった裏面に、ああソーニャ姐さん何思う…という、ね。実は上に挙げた三つの理由は全て同じ根っこから出たものではあるんですが、まあそれはそれで。


などといささかの物寂しさを感じさせたりもする本作ですが、それで別にこのシリーズの看板である過激さが薄まっておるでもない。どころか、そういう無常感を踏まえた上でのもんのすげえ暴走クライマックスを用意してる辺り期待を裏切りまへんな。物語の結末は結構大風呂敷気味に作ってあるのだけれど、それでも地に足の着いた即物性と具体性を失わないのが作者の資質というか何というか。ソーニャ姐さん最終形態の破壊神なんか、恐ろしげな外見の上にサブマシンガン持ってんでっせ。意味ねー!


…あと、何故かラストの展開とエピローグは攻殻を思い起こさせたりしました。融合と新生、そして所謂「ネット(世界)は広大だわ」エンド。ま、定番っちゃ定番なんですがね。


蛇足。このシリーズにて印象的だった表現その一:トンデモ医者といえばモロー、フランケンシュタイン、そしてベンウェイ、だそうだ。ベンウェイ医師ってアレか? 裸のランチの? そーかー、彼はそこまで大名跡だったのかあ。つってもワシ、映画しか見たことないので知識イガんでると思いますけどね。ロイ・シャイダーですよ。ベンウェーイ!


その二:じゃ医者じゃないトンデモ人なら誰か。チャールズ・フォートとバーリッツですってさ。バーリッツ(ベルリッツ)が本国じゃバカトンデモ人扱いなのは知識としては知ってたけど、こうして実例を目の当たりにするとなにやら感慨深いものがある…のかなあ。