銀色の恋人

タニス・リー「銀色の恋人」読了。今じゃもう「エロいお姉さんロボとアレコレウフフ」てなSF小説はスの状態じゃとてもやれませんが、「お姉さん」の部分が「お兄さん」となると話は別だ。ほうれ目新しいどうじゃどうじゃ。…まァ当然ながら、既存のセクサロイドモノをそのままジェンダー逆転してはいおしまい、という作品ではないのですがね。


まずはそのテーマ性の重さでしょう。解説に挙げられてるとおり、これはロボ恋愛モノにして母/娘のゴッツい相克モノでもある。母の愛情という糸でがんじがらめに絡めとられた娘が、初めて自分の意思で一歩踏み出し二歩進み、そして全力で疾走していく…という。主人公のジェーンさんは行動パターンだけとったら完全無欠のワガママ不安定娘なんだけど、全編通して彼女の一人語りという構造のせいか、なんか知らんうちに妙に感情移入しちゃってるんだよな。


ま、その要素はそれでいいや。それよりもだ。文章表現だ。ワタシはもう、この砂糖っぽい甘ったるさに身をねじりっぱなしなのでしたよ。例えば…ロボットのシルヴァーさんに抱きとめられながらの感想が…、

…わたしは完全。わたしたちはひとつの舟のなか、あるいはミルクホワイトの鳥の背中の上。
 「鳥?」かれはおだやかにたずねた。「鳥でもあるのですか」
 「ええ、そうよ。虹かもしれない」

鳥かもしれないけど虹かもしれない。くわァあ、ああ身がねじれる。こういう文章がホイホイっと出てくるのさ。ソッチ方面にあんまし感受性の無いワタシですらこうだから、好きな人には堪らんだろうなあと思いますよ。


そしてもう一人の主人公、ロボットのシルヴァーくん。これが完璧な恋人なのよね。どんなワガママでも無限の包容力で受け止めてくれるし、でもそれは機械だから当たり前だワとか思ってたらどうやら「不良品」なので感情が芽生えたりして「ジェーン。あなたを、恋人です」とか何とか言っちゃったりしてコノー!(言ってません)。英米系の文学にしてはものすげえ線の細さがミリキの彼である。


…いややっぱこれ、日本の少女マンガとか読んでんのと違うかリーさんは。訳者の井辻さんは「元ネタはキカイダーと違うか?」言うてますが、さあそこまでは。ギター背負った良心回路。ちうわけで、オチのものすげえ叙情感を含め、ワタシの中に僅かしかねえオトメ心を擽られまくった一作でした。ちと胃もたれしたけどな。