ブラッドベリ

●「スは宇宙のス」「10月はたそがれの国」続けて読了。どっちも小学か中学の頃読んだはずなのにもうすっかりすっかり忘れてるので問題なく楽しめました。古本屋で二冊並んでて覚えず買っちゃったけど、まワタシの記憶力の間抜けさによって結果オーライだ。


「ス」の方は(何てェ略し方)はSF、「10月」は奇譚メインの短編集ですが、両方まとめて読むと各々のジャンルへのアプローチが何となく違うんですよね。…つまりその、ブラッドベリの大きな幹は奇譚側にあるような気がする。そして時代的にかそれとも彼の内部的にか、その奇譚世界が失われつつあることへの悲しみ(あるいは郷愁)を表現するための道具や舞台がSF…てな感じ。


「ス」に出てくる、未来世界にて蘇った死体・ラントリー氏は絶望するワケだ。この世界には恐怖がない! お前たちはポオやラヴクラフトを抹殺してしまった! そんな世界は間違っている、俺は夜を元の姿に戻してやる。今度こそ恐ろしい夜を! それは幻ではない…って後半は今川アニメみたいですが、まあそれは置いといて。


この作品集では特に、世界から奇想や空想が失われつつあることへの強烈な危機感がある。その作品内での人々(特に大人)は安寧とともに穏やかに笑い暮らし、しばしば恐怖や不安とは無縁だったりする。戦争に冷戦にとこれが書かれた時代にも大量の不安要素はあったのだけど、それはブラッドベリにとってあまりに即物的で現実的すぎる「恐怖」だったのだろうな。


…や、ホンマは純粋にSF々々した作品も結構書いてはるはずなんだけど、「ス」の方は特にそういう編纂意図になってんのでしょうね。一本スジが通っているとも言えるか。


●あと、ブラッドベリ小説の基本構造は現実vs空想であり、無論それらの内の「空想」側に立って話をするんだけど、面白いことにというか当たり前なことにというか、その「空想」がどういうものなのかについてはあんまり顧慮されないんだよね。とにかく現実のくびきから離れちゃってる者が勝ち(あるいは負けて押しつぶされたりするけど)で、それが快なのか不快なのかエエのかワルイのかは二の次。それによって最終的にホラーからファンタジーまでのジャンルが決まる、みたいな? みたいな?