アストロー梅田

●例によって画像に脈絡は無い。ジジイアストロノートその2。

無重量状態ではアフロっぱい髪型は色々と面倒事がありそうだから、実際は刈り込んじゃうのだろうかな。いやまてよ、豊かなウェーブ髪の女性宇宙飛行士とかも居てなかったか? あれはいいのか? うーん、よく判らん。


●宇宙飛行な作品はかなり好きでして、ライトスタッフだのアポロ十三だのスペースカウボーイだのは楽しく鑑賞させていただいた。スペースキャンプ…はよく覚えてないな。当然そういうアニメも好きなんだけど、宇宙飛行士メインって作品数はまァ多くないわな。ええとまずプラネテスでしょ、それから今やってる大江戸ロケットもそのカテゴリか。こないだロケット少女モノが放映されてたようだが当地では見られなかったしなあ。


オネアミスはかなり偏愛気味の作品。その中でも「宇宙船(人工衛星)が空を飛ぶ理屈」のシーンは判りやすくてかなり好きだ。飛ばすんじゃなくて地球の丸みに沿って落っことす。別にニュートンさんの主張に反している訳じゃなく、むしろ寄り添っているのが人工衛星だヨ、とね。バイクごと地平線の彼方に飛んでったマティの絵面が今でも頭に浮かびます*1


オネアミス世界にはニュートンって人はいないだろうと思うけどね。


●辞書を見ると「Newtonian」という単語がある。雑誌ニュートンのファンじゃなくて「ニュートンの説を奉ずる人」の意だそうだ。なんとアチラでは、わざわざこういう単語が出来るくらいニュートンの説は信じられて「いない」のか。ううむ、それはライプニッツの仕業だな! 陰謀だな! どのみちLeibnizianという単語はないし、そりゃかわいそうってもんでしょう。Hamiltonianでさえあるのによ(ちょっと文脈と違う)。

*1:中の人たるガベさんもこないだこの地を離れてしまったけれどなあ。残念だ

結界師/絶望先生

結界師28話。黒芒楼さんは人の皮をかぶって襲来する。「烏森について話し合いをしよう」と言いますが、結局は早々にウルティマラティオでフッフッフ、ってのはお約束。結界師側はこの期に及んで先代の援助を切ってしまったので、さてこの圧倒的不利な状況をどう切り抜けるのか。平田広明の人は人間皮の都合上本調子ではないようなので、そこに光明がありやなきや。…という。


「人の皮を被るのはハンデだ」と嘯く通り、底知れぬ力量を感じさせるアヤカシ側は確かに恐ろしげではある。話し合いとして机を並べようとしてたり、アイヒの人にお母さんネクタイ結んでェ状態で扱われたり、そういうとぼけたシーンもその落差として効果的。だし、なんか妙に萌えるし。それにしても、形式上とはいえやたらと話し合いにこだわるのは何故なんだろうな。背後にエイリアン・メフィラスでも居るのか?


今まで回想シーンのみの登場であった母が再登場。手紙だけだけどね。なんだかこのキャラも常人の理屈を超越してそうな感じがしますが、どんな人になってんのやら。あと、予告を見る限り次回はアクションシーンに気合入ってそうですな。


●新番組・さよなら絶望先生。原作は「それほど良いファンではない程度」に読んでいる。新房監督によりアニメ化するってのを聞き「あ、なるほど」と思ったのだけれど。確かに親和度は高そうですね、って。


んで本編であるが…うーん、スタイリッシュさのセンスは極限的。画面上の彩度やアングル、提示されるテンポなどはなんかもう芸術映画の域に近い。ただ、それが面白さに寄与してるかっていうと疑問ではある。元々言語・語彙系のギャグ作品だし、絵的な凝り方は却ってその要素をスポイルしているように思える。つーかぶっちゃ毛うざったらしい。ギャグって難しいね。


…あと、黒板などの書き込みネタにはツッコまない。ネタの質云々の前に、ワシのテレビじゃ読めないしな。


てことで、30分見つづけるにはちとしんどかったなあ。オールドタイプたるワタシにとってはマンガ状態でテメエのテンポで読んだ方がエエかもしれん。ああ、EDは明るい不穏さが出ててなんか良かったなあ。かっちょええの。