赤いおっさんとオタカラの顛末

●絵は毎度の如く意味は無い。

適当に手を動かすとどうしてもおっさんの顔になってしまう。タイトルを付けようのないおっさん顔のラクガキは「face」+連番というファイル名にして保存してるが、もう既に10を越えてしまった。この人はええと、face8.01ですな。タイトルはそうだなあ、じゃ時期柄「鬼は外」で。あるいは「二つで充分じゃねえ! 四つよこせ四つ」で。


…そういや節分だったようですが、なんか世間は和風行事には冷たいのう。どーせバンアレンタイデーにはキャラキャラした飾り付けになるくせによー! 豆とか鬼とかも飾ったれー! 


●しかし9時より17時半までメンテで使用不能とはこりゃまた大手術だなあ。ワタシの胆嚢切除手術もかくやである。…なんか周囲組織と癒着してたらしいです。手術中は寝てたのでよく覚えてないですが。


ま、ワタシはおっさんの顔を描いてれば幸せなんですがね。


●…とまあ、ここまでは昨日書いてしかるべき内容である。しかして本日の日記であるが、実は今迄久々に徹夜のオタカラオケだったのでありました。そして今朝帰ってきたところでありました。皆様におかれましてはお疲れ様でした。ていうかワタシ、アニソン特ソンオンリーで構わないカラオケって初めてだったのかもしれない。もう寝ます。今寝ます。ああ、そうこうしているうちに意識が薄くなってきている。もはやこれまでしからば御免。ぐう。

妖奇士/あさっての方向。

天保異聞 妖奇士17話。山の民やら機の民やら、それら漂泊者をマレビトとしてまつりあげんとする一派、である。なんだか民俗学なお話になってきたが、カラクリ人たちもそこに入っちゃうのはちょっと面白いような気はするな。確かに「遊芸稼ぎ人」としての芸人さんと同根みたいなもんか。


いかな高尚な思想をぶち上げようが結局は「妖異の肉うめぇ」に帰結してしまう浅ましさ。こういった二面性はずっとこの作品に通底してるテーマではありますな。そこに自覚的である分だけ、妖奇士の人たちの方が見えてる世界が広いのだろう。今回は三木眞一郎の人ですな。目の据わった相手を猿芝居でやり過ごせるくらいに冷静だったわけだ。…なんかこの人もギャグキャラ光線の餌食になってますが…。


ホンマは小山力也の人が今回の主役の筈だけど、感情が先走っちゃってるので少々グダグダっぽい感じであんまいいとこなし。次回はキッチリ見せ場を用意してくれるのかな。


あさっての方向。10話。一途で一本気なテツマサさんに、からださんは応えることができないのである。それは言っても判ってもらえない辛さであり、できることといえばただ枕元にての付き添いのみ。あーなんかもう、判りやすいなあ。


図らずも(ってかちょっとご都合主義にも)交わってしまった二人の世界だが、両者の非対称性が緊張感を生んでてよろしですな。今後この状況がどうひっくり返っちゃうのかが見所なんでしょうが、そこに至るまでの積み重ねエピソードとしての今回もなかなか丁寧であった。回想シーンと地続きになった「秘密です」の言葉や、やっぱり相手についていってしまうからださんの行動とかね。


さりげないエピソードだが、小清水娘とペンション先生の会話がなんか良かった。お父さんは息災かと訊かれて「多分」とだけ言う小清水さんと、それをまるのまま受けて「そりゃ良かった」と返す先生。良い関係やね。あと、出てくる料理がいかにも「ペンションですよー」って感じでニヤけるなあ。なんか白身魚の香草焼きとかさ。

MIB

メン・イン・ブラックをTVで鑑賞。劇場で見て以来だからほぼ10年ぶりかな。バリー・ソネンフェルドというなんだか具の多い名前を覚えたのはこの映画でした。軽くてアップテンポで、でもあんましチャカチャカ感のない演出は見てて楽しい。…敵宇宙人の真の形態の「安っぽさ」も狙ったものなんだろーなー。話が通じそうで怖くねーもんな。


すんげえのっぽで異形な従者宇宙人をやった人が妙に印象に残ってて、確か監督の前作であるアダムスのお化け屋敷映画にも出てたなあと調べてみたら「カレル・ストライケン」という方だった。なんかいーよね、この人。2m13cmだってさ。


トミーおっさんの菅生隆之をはじめとして、石田太郎とか内海賢二とか青野武とか玄田哲章とかおっさん声がもりだくさんで割と幸せでした。んでキツめなヒロイン姐さんが唐沢潤。エダで知ったばっかしの方ですので暴力シスターに見えて仕方なかった。エエ声やな。


…映画終わったらいきなり淀長が「ハイ、いかがでしたか」ってったので本気でビビった。懐かしいにも程がある。ちとホロっときてしまったですよ。